BBS DIARYLIBRARY 

ロリ〜タのひとりごと

2006/2/1 (Wed)  ララバイナ〜レ(59)







小さな巨人・43

SML GIANT 43
5万円の版画
TODAY

画廊主・ジェームスの尽力で俺の作品が某美術館にコレクションされ、公の場でスピーチをするという貴重な経験をした。ドクターが生きていれば素晴らしい内容のスピーチを作ってくれただろうと悔やまれた。画廊主ジェームスが企画した他州での個展に出かけても2日目にはニューヨークが恋しく、飛行場から高速を走りながらマンハッタンのパノラマが見えてくると妙に心が躍る。

さて、俺は収入の一部でドクターが教えてくれた方法でジャスパー・ジョーンズの作品を買っていた。億単位もする高額な油絵が先ず買えるわけがない。そこで安い版画を選んで集めるようになった。1枚、また1枚と収集するために質素な倹約生活を今も続けている。

オークションで最初に買った版画は500ドル(約5万円)で落札した。間違いではないかと思うほど安価だった。直ぐに会計で税金込みの全額を支払い作品を引き取ると、版画部門の女性が慌てて走ってきて間違えた事を俺に説明しているが、
俺は「ワタシ英語ワカリマセーン」と版画を脇に抱えてその場を去った。

支払ったほうが勝ちなんだよ!あらよっと!


因みに買った版画の画廊公開価格は6、000から10,000ドルだった。

しかし、絵を買うたびに消費税(約10%)が常に加算される。俺のような個人バイヤーにとって消費税は痛い。免除される方法がないものだろうか・・・。
畑違いではあるが移民弁護士のジェフ&真美子夫妻に相談することにした。




2006/2/3 (Fri)  ララバイナ〜レ(60)





小さな巨人・44

SML GIANT 44
船木商会株券
INC.

会社を作ればいいのよ!船木さん!
弁護士ジェフの妻・真美子の力説に彼も笑顔で大きく頷いた。

会社といえば俺のCO−OPビルのロフトも会社組織になっている。


俺はCO−OPの副社長をアッサリ解任され・・・
今は地味な会計を担当しているとです・・・・
船木テ゛ス・・・船木テ゛ス・・船木テ゛ス・・・・




たまたま遊びにきていた電通の友人に会社設立のことを話した。


お前、ADなんだから会社名を考えてくれよ。

DANNY!

ずばり!ダニのような感じでイイだろ!

お前!凄いな!さすがに天才ADだ!


かなりダニが気に入ったのだが、ダニは既に他の会社が使用していた。
そして俺の会社名はごく普通の「船木商会・FUNAKI INC.」と決めた。

従業員のいない会社が可能なのだろうか・・・疑問に感じたが取り敢えずジェフに紹介された会社法の弁護士・リチャードを訪ねた。
ジェフと同期のリチャードは、100株の株券(1株1ドル)、会社シール、RESALE CERTIFICATE(再販売証明書)などの発行手続きを直ぐに登録をし、俺は社長の役職の他に4つの顔をもつ男になった。

1.社長
2.副社長
3.秘書
4.会計

こうして資本金2000ドル(約20万円)のSMALLCOMPANY・FUNAKI INC.(船木商会)が設立された。

一方、俺の住むCO-OPビルの会計士であるジョンが俺の会社の税金報告も兼任してくれるという。自宅のPCの机を会社に貸し、賃貸料として月額1万円を俺が俺に支払い、毎月の給与も税金額を考えて最低の額にした。鉛筆1本も会社の経費なのでPCの前で慣れないエクセル出納帳と格闘する船木社長である。

社長といっても俺の生活が変化するわけではない。制作で得た収入は会社の利益として税金報告を行わなくてはならない。
会社設立の意味があるのだろうか・・と、フト疑問が過ぎった。

ある日、俺はいつものように版画を買った。
支払い時、会社のRESALE CERTIFICATEを提示すると消費税(NY税)が免除され、いつも損をした気分の消費税支払いがこれで解決した。

俺はものすご〜く徳をした気分だったので、好物のウドン屋へ走った。
1杯のかけうどん



2006/2/6 (Mon)  ララバイナ〜レ(61)







小さな巨人・45

SML GIANT 45
MR.YAMADA

山田サン船木サン

現代アートの会場はいつも満員で、立ち見客達が後方にビッシリ立ち競売の成行を見つめている。立見の俺の隣にスーツ姿の日本人男性が立っていた。
日本人同士を意識した2人は軽く会釈を交わした。


どれもこれも高くなって、全く買えません。
そうですね。日本からですか?

いえ、私はカリフォルニアからです。
画商をやっています。貴方も画商ですか?
いえ、私は収集家です。
画廊では高くて買えないので、ここで安いものを狙っています。

なるほど。かなり集められましたか?
安物ですが・・30点ほど集めました。

船木さんのコレクションを見せてください!
い・・いっすよ。


男は名刺を差し出した。山田一郎(匿名)の名前だった。

競売の後、スーツの男と、ジーンズの俺は自宅に向かう途中、同年代のためか堅い話し振りの山田さんと話しが弾んだ。彼は渡米して10年になるという。

自宅で在米10年の苦労話をしている山田さんにビールを勧めた。トクトクトク。
彼はグググッと一気に飲み干し、空気が乾燥しているからビールは最高にウマイ!と数本を軽く空にした。少し酔ったのかネクタイをゆるめてリラックスモードの山田さんが突然言った。


あ〜ん。疲れちゃったワン!
こういう話し方って疲れるのよね〜。
もういいでしょ?普段の話し方していいかしら?
そうなの。アタシ。オカマの山田チャンで〜す。
オカマでもいいでしょ?心配しなくていいのよ〜。
アンタを襲ったりしないからね〜。うふん。山田チャン!

思わず俺は噴出したぜ。フッ。

オカマやゲイなんてニューヨークには沢山いる。俺の友達はゲイ特有の才能をフルに生かして、アートやファッション関係では押しも押されぬキャリアの持ち主だ。

俺は彼等を尊敬しているよ。
ゲイだからといって俺は区別したりしないぜ。
な?山田さんよ。

ある日、カリフォルニアの山田氏からメールが届いた。
俺のコレクションを買いたいという内容だった。



2006/2/9 (Thu)  ララバイナ〜レ(62)





小さな巨人・46

SML GIANT 46

ウーン・・

軌跡から

この紙袋紙袋の男は昨年のロリ板日記「紙袋の男」の過去ログである。
主人公の油ギッシュの男(社長)と俺とは銀座の画廊を通じて交友関係があり、
ロリさんも画廊から紹介されたらしい。社長の人柄については日記で大概のことが判断できると思う。

ある日、「紙袋の男」の社長と彼の息子ヒロシがNYにやってきた。
現代絵画の目利きである社長のコレクションは美術館所蔵クラスの一級品ばかりで、世界有数のコレクターの1人といっても過言ではない。彼の商売人としての鋭い迫力と無限の逞しさはコレクションへの執着心と情熱にも発揮されている。

船ちゃん。元気そうじゃな。

社長はバタバタと音を立てて家の中を歩き回り、俺への土産品のウィスキーをコキッと開け、オンザロックでグイッと一気に飲み干した。

何か買った?相変わらず3流品か?
これからは2流品を集めたほうがええんと違う?

そんな資金なんてありませんよ。

じゃけん。これを売って2流に買い換えるんよ。

簡単にいわないでくださいよ・・・

全部売りんしゃい!売れっ!!

ウーン・・・そうかな・・・


実は俺は2流品も集めていたが、社長には3流の10枚のみを見せた。
社長の助言に疑心暗鬼だったが、取り敢えず最初に買った5万円の版画を含む10枚を売ることにした。作品を買ったオークション会社で今度は俺が売人になるわけだ。果たして高く売れるのだろうか。

数ヶ月後、オークションのカタログに俺の出品作品が写真入りで掲載された。

競売日当日。
オークション会場は世界中からやってきた客達の熱気と興奮で騒々しい。
日本の画商らしき男性2人組が俺の隣に座ってきた。ところどころに枝折をつけたカタログをパラパラと見ながら2人は小声で話をしている。

さすがにNYの売りは盛況ですな・・・。

お互いを意識しながら会釈を交わし我々はオークションの開始を待った。

売りたてはスムーズに進み、いよいよ俺の出品物が近づいてきた。
俺の両手の平は冷汗でビッショリと濡れ、胃がキリキリと痛い。



2006/2/12 (Sun)  ララバイナ〜レ(63)





小さな巨人・47

SML GIANT 47

おたのもうします・・

奇跡へ

天井の強いライトに照らされた俺は今や渦中の人だった・・・。

会場の皆が俺を見ている・・これを自意識過剰というのだろう。
俺は緊張で全身が硬直していた。まさに「まな板の上の鯉」だった。
こういう場合、隣の2人が俺の家族のように感じ、ギュウギュウ詰めの満席の会場で袖すりあうも何かの縁である。聞こえてくる隣の日本人2人の会話が仲間意識となり、

次からはジャスパーですね。予想価格がかなり安い。買う?

今やジャスパーは買えませんからね。やばっ!口を挟んでしまった・・汗

そうですよね!やります!

ハイ! 彼はパドルを上げた!


同時にあちこちの席からもパドルや手が上がり値段がドンドンあがっていく。
ズラッと並んだ電話台の人たちが一斉に電話の客に現在の金額を告げている。
次は8,000ドルです。と相手に聞き、8,000!とすばやく手を上げた。
会場内はもはや誰も止められない白熱した修羅場と化していた。


イケッイケッ!もっと上がれ!俺の心の叫び・・。


数分後、俺の500ドル(5万円)の版画は12,000ドル(120万円)で落札された。

売れた! щ(゜ロ゜щ)オーマイカ゛ーッ!



高くなりましたね・・何も買えないかも・・・。

もっと上げないと無理なんだよ!
俺様のコレクションを舐めんな!

と本音で言いたかったが、
次の作品もありますし・・と答えておいた。


1点終わると次も、次も、俺のだ。オークショニアーが落札のハンマーまで粘るので1点終わるたびに俺の胃が収縮した。もしやあの社長「紙袋の男」がオークショニアーに話をつけている?と勝手に想像した。というのも他の出品作品と違い俺の分だけ異常に長い時間がかかっているように感じられたからだ。

10倍の高額になるまで粘れ!(社長の声)


落札結果報告。
10点すべてが高額な落札価格となり船木商会の総仕入額100万円が、
ナ!ナント!10倍を超える脅威の金額になった。

俺の頭の中はもはやドル札の山だった。d(・∀・)b ぃぇぃ!



2006/2/14 (Tue)  ララバイナ〜レ(64)





小さな巨人・48

SML GIANT 48

ラララ〜

会議は踊る

親切な社長は手数料なしで全額を現金で俺にくれる約束をしてくれていた。
そして1箇月後、社長名義で売った売上金は社長の口座に振り込まれた。

商用でNYにやってきた社長から電話があり、直ぐに銀行へ来い!という。
金が手に入ると感じた俺は転げるように銀行へ駆けつけた。

銀行の応接間は社長の吸う煙草の煙とコーヒーの香りが混ざり息苦しい。
ヒロシはイスから立ち上がり俺に深々とお辞儀をした。

船ちゃん。私の言ったとおりだったな。高くなっただろう。

はい。社長のお陰です。本当にお世話になりました。

いつも船ちゃんには世話になっとるからな、これはお礼じゃ。

支店長が現金の山をトレイに乗せて部屋にはいってきた。

船ちゃん。この現金を全部数えろ。

銀行を信用したらいかんよ。

新札の100ドル札束の帯をプチンと切り、1枚・・2枚・・数える俺の手は震え額に汗がでている。息苦しい。こんな現金の山を見たことがなかった。俺の数える姿を瞬き1つしないで見つめる社長親子と支店長。全員の鋭い視線に一種の恐怖を感じた。

あの・・・・半額しかないですが・・。

あ、それな。あとで話すけん。

え?

とりあえず、全員でテンプラを食いにいこうや!


高級日本料理店のテーブルには高そうな料理が並び酒盛りが始った。社長は料理を物凄い速度で食べながら俺に食え!という。ついでに俺の食い方が遅すぎる!そんなことでは大物になれんぞ!とイチイチ食べ方を注意する。俺は味わって食べる主義で食べる速度はかなり遅いのだ。食べ方まで注文つける?
素直なヒロシは料理だけを見つめ黙々と食べ続けている。ヒロシの食べる速度は誰にも負けないだろうと俺はただただ呆れて見つめていた。

社長はウィスキーとビールを交互にグイグイと飲みすっかり出来上がっていた。
俺は料理より残る半分の現金の行方が気になった。貰った金を股の間に挟んで社長の次の言葉を待った。


あのな・・船ちゃん。

はい。

あの半分は、私が預かる!!


はい?



2006/2/15 (Wed)  インターミッション



うふ♪

ロンゲからショートへ

長い間放置した髪の毛が肩甲骨の下まで伸びていました。

寝ても覚めてもいつも簡単で便利なお下げ髪です。長い髪は洗うのが面倒なので洗髪が嫌いです。耳の後ろの付け根あたりに異臭が感じられるようになると仕方ないので根性をいれて洗います。シャンプーの量も半端ではなく卵も勿体無いです。卵はトリートメントとしてたんぱく質補給に効果があるそうです。額で生卵をガツンと割り頭皮に滲みこむようにヌルヌルマッサージをするのが良いのです。

そんなアタシですがフット美容院へ行きたくなりました。
イスに座ると美容師さんが少し髪をつまんで、

何センチ切ります?これくらい?彼女は10cmほどをつまみました。
もっとです。


こ・・・これくらい?汗

もっと!


アタシ達2人の会話はまさに「ローマの休日」のオードリー様(アタシ)と美容師さんです。昨今はシャギーが流行っているのでそれは避けていただきたいとお願いしました。隣の席に座っている小母ちゃんが心配気に、あんた・・本当に切るの?

はい!スッパリ切っていただきます!

3つ網を解いてロンゲをサラ〜と梳かしブラシします。思えばこんな風に垂らした姿をしたことがなかったことに気づきました。ウザイ髪型をよくもまぁ長い間伸ばし続けたことを何気に後悔しました。
美容師さんたちが集まってきて、勿体無いですね・・と口々に囁きあっています。
短くして似合えば良いいんだけど・・・本音はそう思っている癖に・・イケズぅ・・


美容師さんの躊躇しない鋏捌きはシナヤカニ進み、ウザイ長い髪がポタポタと足元に落ちていきます。そして耳の長さまで切るとタラ〜ン!アタシは爽やかなオードリー様に変身しました。ついでに襟足をバリカンで剃り上げてください、とお願いしたのですがそれだけは止めたほうが・・。素直なオードリーは仕上げをプロの彼女にお任せしました。

ブローが終わり、セーターに着替えて帰り支度をして皆さんにご挨拶。

うわあ!ロリさん。可愛い!!!

これからはオードリーさまとお呼び!

(´0ノ`*)オーホッホ!!








翌朝・・トイレにて。鏡の中の夢見るアタシ。
眠ぅ・・・ムニャムニャムニャラムニャ・・・・。
全然ちがうがな・・泣
こ・・これは・・だれやねん!!はぁ?




2006/2/17 (Fri)  ララバイナ〜レ(65)





小さな巨人・49

SML GIANT 49

1ST  ROUND
FIGHTING MATCH

でも、ボク・・借金返済もありますので全額頂きたいです。

船ちゃん。金というもんはな、持っているとすぐに使ってしまう。損はさせんから私に預けておけ!そのうちに倍額にしちゃる。それに借金の額などは私のとは比較にならんよ。私に任せておけば良いことになるけん。

社長には多少ですがお礼をするつもりです・・。
お礼なら、私に半分貸しんさい。
それとこれとは違います!
なにぃ!これほど言ってもわからんのか!!
わかりません!全額下さいっ!

全身茹蛸の社長はウィスキーをがぶ飲みしている。側で息子のヒロシが顔面真っ青で俯いている。能天気の支店長はまぁまぁお2人とも。。と仲裁に入った。

うるさい!!銀行はなんぼのもんじゃ!
雨の降る日は傘を貸さない!銀行は口を挟むな!

俺は段々と腹が立ってきた。これが社長のやり方なのか・・・。半身に構えた俺は真向かいに座る社長を睨み付けた。

社長、約束は守ってください。男同士の約束ですよ。俺は社長を信用してお願いしたんです。あまりに無茶苦茶ですよ。それに社長の皆さんに対する態度は何ですか?支店長もビビッていますよ。息子さんも貴方の一言一句で萎縮しているではないですか。貴方の一方的な会話は成立しませんよ!
勘違いも甚だしい!


俺と社長の睨み合いは10分ほど続いた。社長の顔は紅潮し今にも殴りかかってきそうな顔色だった。ウィスキーのグラスがパキーンと割れるかも・・社長の手がピクピクしている。半身に構え飛び掛る体勢の俺を社長は知っていた。殴られれば殴り返す。俺は小柄で痩せてはいるがラグビーと大工仕事で鍛えた体力がある。社長を殴り倒すくらいの馬力はあった。来るなら来い!おう!受けてやるど!!

むむむむむ・・

ダミダ・・俺はこれにて失礼!ε=ε=ε=ε=( `・ω・´)o逃げっ!

半泣きのヒロシが慌てて俺の後を追ってきた。

船木さん!申し訳ありません!
バカな親父を見捨てないでください。お願いします!

ヒロシさん。貴方も大変ですな・・。
ボクの手には負えません。失礼します。

帰り道、正直なところもっと執拗に食いついて残り半分を返して貰うべきだった・・と後悔した。しかし、あのアル中男には何を言っても駄目だ。俺は諦めざるを得なかった。

次日、銀行へ行くと能天気の支店長が大声で話しかけてきた。

船木さ〜ん。昨夜は凄かったですな。
船木さんの勇気に感服しました!ははは!

何を今更言いやがる。お前こそ言いたいことを言えよ!
俺は大金半分を一晩で無くしたんだぞ。いい加減にしろ!

2006/2/19 (Sun)  ララバイナ〜レ(66)





小さな巨人・50

SML GIANT 50

 FINAL ROUND
痛いDAY

あの痛い日、社長に啖呵を切った俺は煮え切らない気持ちで帰宅した。
留守番電話に緊張した社長の声がはいっていた。

船ちゃん。すみませんでした。許してください。会ってください。

ツー。ツー。ツー。


俺はすぐに電話をしたかったが、全神経を費やし疲労困憊でそのまま就寝した。

翌日、作業をする気分ではないので画廊街に出かけた。ゆっくり作品を見ていると新しい作家たちの斬新な作風が目立った。俺の尊敬するジャスパーが随分古い作家に思え、一斉を風靡したキース・ヘーリングもバスキアも20代半ばで既にこの世にはいない。しかし彼等の名声と作品は美術史上に残ると思う。
ムッシュ船木はNYで大成功をしたそうだ。という噂がパリの仲間たちの間で噂になっているらしい。しかし、作家としてこれからの俺にどれだけの可能性があるのだろう。生活のために作品を作り続けなくてはならない俺の苦しい現状。そして支えてくれる画廊やコレクター達に責任がある。
だが、しかし・・。


リムジン家路、家の前に長いストレッチリムジンが停車しているのを遠くに発見した。近所の工場の連中が珍しそうに場違いな高級車を見ている。

あれは・・社長のリムジンではないか。待ち伏せか・・

咄嗟に俺は隣のビルに隠れた。様子を覗っていると車は静かに徐行。走り去る車に運転手の横顔が見え、彼が車中の2人に必死で話している。俺には会話の内容が手にとるように分かった。

留守番電話に、玄関で待っています。会ってください。の伝言がはいっていた。返信をまだ躊躇う俺だった。携帯番号を教えていたら大変なことになっていたと思う。

次の日もリムジンが玄関先に停まっていた。
社長、ヒロシそして運転手達それぞれが交互に留守電に伝言をいれている。

船ちゃん。私達は明日日本に帰ります。お会いしたいです。

そして車は静かに去って行った。
窓に佇む俺は寂寥感と苦渋の入り乱れる複雑な気持ちで友の後姿を見送った。



1週間後、船木商会の銀行口座に多額の入金があった。

送金者は社長だった。






2006/2/21 (Tue)  ララバイナ〜レ(67)





小さな巨人・51

SML GIANT 51

もらってはみたけれど・・
RECOVERY モエ〜

社長から振り込まれた金の1/3が税金で消えた・・。税務署が憎い。
最初に得た現金で逸品の版画を買い船木商会の在庫の一部とした。

さて、一時帰国した俺は親父に全額支払いたい旨を告げたが、

会社の軍資金にすれば良い。
父ちゃんの生前贈与と思ってくれ。
ありがとう。父ちゃん・・。感傷的になる俺だった。



寿銀座の画廊オーナーが、社長の息子・ヒロシの結婚式に船木君も僕も誘われてるんだけど出席するでしょ?船木君が帰国していることを社長にウッカリ言ってしまったのよ。「船ちゃんに連絡を取ってジェッタイに結婚式にでるように伝えろ!」と社長がしつこく電話してくるのよ。式服は僕のを貸してあげるから一緒に行こうよ。
社長は船木君と仲直りしたいんだから。ねっ♪


モエ〜


お〜お!船ちゃん。良くきてくれた!ありがと!うぅぅ(涙)

赤坂にある某有名ホテルでの結婚式は贅沢且つ豪華絢爛で派手の一語に尽きるものだった。祝宴では業界や政界からの超有名人立ちが交代で祝辞を述べた。玉石混合の客人が集まった宴は続き、最後は新郎新婦からの花束贈呈。
美しい新婦からの花束を胸に泣きながら挨拶をする義父。
新婦は義父の本当の怖さを知らずにとうとうヒロシの妻になった。

俺と同じテーブルの画廊オーナーはもらい泣きをしている。ロリさんは・・と見ると、
如何せんやっぱり伊勢海老はウマイゎ・・と手掴みでフルコースの食事に集中している。人それぞれだな・・俺は高級と思われるワインを飲み干した。

祝宴はお開きの時間となり客人たちは帰り支度をしている。社長はホテルの支配人や家族の止めるのを無視して客たちにマイクで、まだ終わっていませんので!そのままそのまま!エー。ワタクシは〜、などと自分の経歴を熱く語り始めた。
そうなのです。社長はいつもどおり完全に出来上がっていました。

会場出口で新婚夫妻が客人たちに挨拶をしている。そこへ顔も礼服もグチャグチャになった社長がでてきて、まだ終わっとりませんので中へ入ってください!
オイ!ヒロシ!お前もお誘いしろ!なんて言ってるよ・・オイオイ・・そこの人。


船ちゃ〜ん。これから銀座へ飲みにいこう〜!デヘデヘ

あかんわ。こりゃ。汗





2006/2/23 (Thu)  ララバイナ〜レ(68)





小さな巨人・52

SML GIANT 52

MANHATTAN

その後

社長達との付き合いは続いている。

個性的で我侭な社長だが、彼と付き合っていると新しい発見がある。年齢の差を感じないで意見を言い合える関係はかえって心地良い。支離滅裂ではあるが己の意思を通し合うことで普遍的な友情関係が芽生えることもある。

俺の海外生活は相変わらず続いている。

外国人である俺は異文化の外国生活で悲哀感や苦渋感などを経験した。自由という時間は俺を中心に過ぎていく。未知なる知識の坩堝に反目することもなく時だけが過ぎていく。これは外国で生活する人間の避けられない現実だと思う。この現実に逆らうことなく足を地につけて生きていかなくてはならない。自分で選択した生き方を「これも運命」とは軽く言いきれない。

ヒロシ夫妻の婚姻後の話などを書くべきか書かざるべきか筆者ロリータはどうするのだろう。気分転換をさせる時期かもしれないが、まだまだ書き続けることは可能だと思う。



2006/2/26 (Sun)  ララバイナ〜レ(69)





小さな巨人・53

SML GIANT 53

WTC
photo by Funaki

9・11

これは俺が撮影した世界貿易センター崩壊1年後の写真である。
GROUND ZERO から被害者への追悼の光の道が天に向かって照らされた。
(下記のYOU RAISE ME UP のMP3は福ちゃんから戴きました。コピペしてお聞きください。被災者たちはこの曲で励まされたそうです。スケーターの荒川さんもこの曲でオリンピックで滑りました。)

http://69.15.189.68/41801/Yu%20Jianqi/08-28-2005,%20Celtic%20Woman/Various%20Artists%20-%20You%20Raise%20Me%20Up.mp3



忘れもしない9月11日午前8時、朝食を済ませた俺はいつも通り自宅で制作をしていた。突然の微震でビルが軽く揺れたが車の事故にしては大きいと感じる程度だった。道を歩く人々は別段変わった様子はない。

突然、家の前にあるレストランの朝飯客がフォークをもったまま飛び出し辺りを見回している。それを見た俺もすぐに外に出た。斜め向かいにある駐車場の客達数人がダウンタウンの空を見上げている。
1人に問うと、世界貿易センターが火事らしいよ。

消防車2台が10人の消防士達を乗せて派手なサイレン音と共に出動していった。

ダウンタウンの空をみると2棟の世界貿易センターが銀色の雄姿を見せている。
その一棟から黒い煙が出ていた。良く見ると赤い炎が少し見えた。
あぁ・・・またビル火災か。と俺は感じた。

すると一機の旅客機があり得ない低空飛行で2棟目のビルにスポッと激突した。
航空機事故か!?機体は高層ビルの中に忽然と消え、数秒後大爆発が起きた。あっという間の出来事だった。

人々がオーマイガッド!と叫んでいる。
クラッシュ!と泣き叫ぶ人々の中で誰かが、テロか・・と小声で呟いた。
冗談だろ・・・・テロなんて・・・。

俺はすぐにブロードウェイ通りに走った。すぐに携帯電話が使えなくなり、公衆電話には人が並んでいる。家に引き返す3分後はすでに長蛇の列になっていた。
世界貿易センターの2棟のビルは黒煙と共に炎上し炎の勢いで現場の悲惨さが想像できた。

ダウンタウンへ向かうブロードウェイ通りは朝の出勤時間で車の蛇行が続いていた。

1人の黒人女性が俺に話しかけてきた。

ダウンタウンへのバスはこれですか?

そうですが、何かが起きているような、
行かないほうがいいですよ。

でも職場にいかなきゃ・・バイバイ。

笑いながら女性はバスに乗った。

20分後のダウンタウンでの惨事は誰もが承知と思う。
あの女性が被害者になっていないことを切に願う。

俺は家に走った。一体何が起きたのかパソコンかTVを見るしかなかった。




2006/2/27 (Mon)  ララバイナ〜レ(70)





小さな巨人・54

SML GIANT 54

屋上から撮影
photo by Funaki

8:30AM
ビルが燃えている。

すべてのテレビ局が生々しい光景を狂気と号泣の入り乱れるアンカーの声で報道していた。黒煙と炎に包まれたビルが映し出され、どこから入手したのか飛行機が追突する瞬間を何度も繰り返し放映している。

俺は急いでカメラを手に屋上に上がり、屋上の花壇を踏みながら被写体の双子ビルに焦点を合わせた。しかし林立しているはずの2棟のビルの1棟のみが見えるだけだ。まさか・・・陥落か?
あのニューヨーカーが誇るツインビルの1棟が崩壊したとでもいうのか?
すぐには信じられない光景だった。あのビルの中には出勤したばかりの人々がいるはずだ。ビルの下には地下鉄が迷路の如く走り惨事は出勤時に起きている。

すぐさま俺は部屋にかけ降りると、TVではアンカーが絶叫に近い声でビルの崩壊を告げていた。そんなバカな!俺は屋上へ走った。ハァハァハァ。

まじかよ!さっきまで見えていたビルが消滅しているではないか!
ついに2棟目も黒煙と共に崩れ落ち白煙が空を覆っていた。

その後の筆舌に尽くしがたい惨状をここに記すことは敢えて差し控える。

各大手のニューヨークの報道機関はもちろんのこと、同時に特別番組としてフジTVを始め、NHKのニューヨーク支社、ワシントン支社などからも日系人のために報道を始めていた。TVではワシントンにあるペンタゴン・ビルも旅客機の激突で大破したことを放映している。時間を同じくして旅客機事故が多発したことになる。偶然にしては妙だ。やはりテロなのか。

携帯と国際電話はプツリと不通になった。外界への連絡方法は絶たれたことになる。ところが不思議なことにパソコンのメールは作動していた。

日本の各業界を含む知人達からのメールがはいり俺の安否を心配してくれていた。それからの3日間、俺はパソコンのキーボードを打ち続け、今起きている現実を日本の友人である某記者に送信した。添付した写真は某新聞朝刊のトップページに掲載されたらしい。
もしこれがテロ攻撃なら、そして空中サリンで攻撃を受ければニューヨーク市は崩壊する。すでに飛行場は戒厳令が発せられ国外へ逃げる方法は絶たれていた。
俺はここで死ぬかもしれない。

ニューヨークの知人たちに連絡したが電話が通じない。弁護士・ジェフ夫妻の事務所はツインビルのすぐ近くにある。事務所に出勤していなければ良いのだが。
この日は東京の友人がやってくることになっていた。成田を発ち数時間後はNYに到着の予定だった。数日後、メキシコにいるという彼からの国際電話があり、彼の飛行機は急遽機体の方向を変えメキシコに緊急着陸したそうだ。新聞記者の彼は報道の希薄なメキシコで少ない情報を知るしかなかった。

多くのニューヨーク市民達は車で郊外に脱出を試みたが果たして何人の住民達が可能だったのだろう。高速道路は完全に遮断され不可能に近いものがあった。
民族大移動は悲しいかな成すすべもなく、孤立した人々はTVの前で暗い出来事を食い入るように見つめるしかなかった。



2006/2/28 (Tue)  ララバイナ〜レ(71)





小さな巨人・55

SML GIANT 55

備えあれば
静寂

いつもの賑やかな通りはすっかりゴーストタウンと化していた。
ガスマスクを装着した女性が俯いてトボトボと力なく歩いている。
俺もガスマスク買っておけばよかった。とりあえず工事用のマスクがある。装着乙。

崩壊による粉塵が海側に流れるはずなのだが悪しくも風が吹いていない。
家の中はこれまで臭ったことのない奇妙な異臭が漂いはじめた。生温い混沌とした空気の流れのためか偏頭痛がする。とりあえず窓という窓の隙間にテープを貼り外気を遮断した。

俺のビルの住人たちはメールで互いの無事を確認し合った。住人の1人にウォールストリート街に勤務する株のトレーダーがいる。幸運にもあの日は会議でミッドタウンのオフィスへ出勤していたそうだ。

14丁目では人々の出入りを警察が検問している。14丁目より下に住む俺のような住人達は成すすべもなく家に引きこもっているしかなかった。
近くのスーパーには新鮮な食料の入荷がなく、俺はひとまず当分の水と缶詰を買い揃えた。

斜め向かいにある消防署の消防士たちは真っ先に現場へ到着し援助活動を開始したが、ビルの崩壊で消防車ともども押しつぶされた。10人の消防士たちの遺体が発見されるたびに消防署の窓に吊るされた制服が1枚1枚と数が減り現在は1枚のみになっている。消防士たちの遺留品を受け取りにきた遺族の中には肩を落とした高齢の父親の姿があり住民達の涙を誘った。

このビルの住人の1人はコロンビア大学の教授で、彼の妻はワシントンで教鞭を取っていた。お互いの無事を喜びあったユダヤ人夫婦はこの度のテロ行為に対して憤りを露にした。夫妻は俺を含む住人達の非難場所として彼らの田舎にある別荘を提供すると言ってくれたが、全員が、

私はニューヨークを捨てません。どこにもいきません。
このままマンハッタンにとどまります。

冷静に同じ意見を述べた。



2006/3/1(Wed)  ララバイナ〜レ(72)





小さな巨人・56

SML GIANT 56

GEORGE OHR pitcher
RAISE ME UP

いつもなら車の渋滞が激しいブロードウェイ通りは閑散たるものだった。たまにパトカーが逆方向に走り、通りを歩く人もまばらだった。

マンホールの中から人の声がする。誰かがマンホールを開けた。

煤で汚れた人々が泣きながら両手を上にあげ「助けてー!」と叫んでいる。 現場から暗闇の地下鉄を歩き続けた被災者の集団だった。力をあわせて順番に外に引き上げ、誰かがペットボトルの水を飲ませた。救急車も消防車も現場に出払っていた。マンホールから救出された彼等は自力で家路につかざるを得なかった。

俺の地区は悪臭を放つ粉塵と電話以外は普段どおりだったが、現場近くに居住する人々は水も電気もなく、また崩壊の余波で自分の住居ビルが崩壊する恐れもあり肉体的より精神的恐怖感が強かった。NY市は被災者の精神面でのリハビリを行うアソシエーションを直ぐに立ち上げた。今も後遺症に悩む人々があの悪夢と闘っていると聞く。

あの世界貿易センターの125階(階数は記憶に無いが)辺りにレストランがあった。俺は1度だけ食事をしたことがある。広く豪華なスペースのエレベーターは急速スピードで上り下りし、その気圧の変化で俺は難聴になりそうだった。
レストランはすべて前面ガラスに囲まれ観葉植物と太陽が燦々と差し込むサンルームで、その宣伝文句は、

マンハッタンの展望を眼下に見下ろしながら食事をしよう!

高所恐怖症の俺は席をなんとか内側にして欲しいと希望したが、如何せんガラス部屋のためどこに座っても景色が見えてしまう。「まずはシャンペンで」と勧められるままグラスを持ち外の景色を見ると目の前にカモメが飛んできてカモメと思わず視線が合った。カモメのはるか下には観光客を乗せた観光ヘリコプターが悠々と飛行していた。


当日、世界貿易センターに出勤していた女性が彼女の夫にエレベーターの中から携帯電話で伝言を残している。 伝言を聞いた夫は「彼女はまだ生きているんだ。助けに行かせてくれ!」と泣きながらうったえていた姿が痛々しい。

あなた、あたしよ・・ 
今、エレベーターの中にいるの。
非常ベルが鳴ったのでエレベーターに乗ったんだけど、
エレベーターが途中で止まってしまって・・
怖い・・
きゃー。エレベーターが揺れているわ。
きゃーー!あなたー!
あたし・・もしかしたら死ぬかもしれない。
死ぬのが怖い・・・
あなた。愛してる・・・・
ツーツーツー・・・


俺は想像を絶する被害者たちの筆舌に尽くしがたい惨たらしい死の状況を新聞やTVなどで知った。が、この愛らしい彼女の声はあまりにも切なく俺の記憶からいつまでも消えないでいる。




2006/3/1 (Wed)  ララバイナ〜レ(73)





小さな巨人・57

SML GIANT 57

展望の彼方に船木住む
2006
3月1日。初春。

父と約束した3年間の渡米は一瞬のうちに過ぎてしまった。
本棚の蔵書は年月と共に重さを増し俺の歴史を物語っている。
本を開くと知識が得られるわけではない。
先ずは本一冊を探すことが知識である。
何をするにも知識は必要不可欠であり、
その知識を得るために俺は貴重な時間を費やしてきた。

今後も続く海外生活で俺が如何ほどの寛容な精神を得られるか、
見ものである。



「小さな巨人」が長くなり一応〆をしたつもりでした。
ところが本日、親友から励ましのメールをいただきました。
「小さな巨人」&「紙袋の男」はいつの日か続けたいと思っています。

お読みくださっている皆様からのご声援に心から感謝しています。   
筆者・ロリータ