BBS DIARYLIBRARY 

ロリ〜タのひとりごと

2005/12/20 (Tue)  ララバイナ〜レ(31)



小さな巨人・14
SML GIANT 14

A! GAIN!

授業中はパリと同じように自分の製作に没頭し、そんな俺を先生やクラスの仲間は邪魔をしないように気を使ってくれていた。クラスメイト達は個性的でパリのような陰険さはなく実に陽気でどちらかといえば田舎臭い。ユダヤ系アメリカ人が多く、イタリア生まれのママミーヤ男はいつも冗談で皆を笑わせ、プエルトリコ人のシーザーは人情が厚くアメリカ生活は俺に向いているように感じた。

ある日、教室で製作中の俺に少し年上の日本女性が声をかけてきた。

貴方がパリから来た人ね。
お噂は夫(日本人・クラスメイト)から聞いてます。
よろしければ今夜食事にいらっしゃいません?

タダ飯が食えるというだけで俺は嬉々として承諾。
これを機会に彼らは夕食に何度も招待してくれ、我々は親しい友達になった。

そんなある日、彼らがダウンタウンにある倉庫街のロフトを買ったというので見せてもらった。
映画「GHOST」で主人公達が部屋を改造する場面にあるような天井が高く広いロースペイス(生の)ロフトだった。その時、いつか俺も自分のロフトを改造し住みたいと思った。

改造については大工さんにお願いしてるんだけど、
助手がいないらしいの。夫はやりたくないと言うし・・
もし船木君が無償で手伝ってくれるなら、
ロフトが完成したら家賃無しでズート住んでいいよ。

こんなに良い条件があるだろうか。俺は躊躇なく即答した。

この仕事で俺は寝る時間が勿体無いほど働き、2ヶ月でロフトを完成させた。
この体験で俺は大工道具と材料の用途、壁の作り方、電気配線などを完璧にマスターし、その後のアメリカ生活で大変役に立っている。


生乾きのペンキの匂いが鼻をつくロフトへ俺は引越しをした。
アパートの入居時に家主から買った200ドル分のベッド、タンス、台所用品などをレンタルしたトラックにのせ、側らには小さい植木鉢がいる。


ペンキの臭いが残る真新しいロフトで引越し荷物の梱包を解いていると、
前ぶれもなくドアが開き、ロフトの持ち主夫婦が入ってきた。

新しい部屋ってやっぱりいいわね〜〜。ここに住もうかしら。
ところで、明日からお客さんがここに泊まりますから。


はぁ?誰の客人?
何かおかしくない?



2005/12/23 (Fri)  ララバイナ〜レ(32)



小さな巨人・15
SML GIANT 15

NO PROGRAM!

一週間以内に出て行ってください。
別のアパートを探してくれますか。

そうですか・・。

突然というか、愛想も人情もないというか。俺は怒りが頂点に達してもはや言葉にならなかった。そりゃ親切な人たちだと思ったよ。作ってくれたら住んで良いとまで約束してくれていた。だから俺は必死で奴らの家を作ったんだ。それなのに出て行けと普通いうか??ざけんなっ!

おう。出て行くよ。お前らとは絶交だ!
俺というナイスな友達を1人なくすことになるぞ!
あとで後悔するなよ!

と言いたかった俺がいた・・・。

実は、これを予測していた俺は別の部屋を連日探し廻っていたのさ。
アップタウンのゴキブリアパートも懐かしかったが、ダウンタウンの広いスペースが俺の居場所と決めていた。

次の転居先は、1階が深夜営業のバーで、車の排気ガスがはいる大通りに面したオープンスペースのロフトだった。
積み上げられたゴミの山のロフトは足の踏み場もなく、素朴なホース管のシャワー、キッチンにはアンティークのガスコンロのみ、壁は朽ちていた。ガスコンロはあのヨーコ・オノが使っていたものらしくかなり重宝した。
壁の一枚目を取り外すと中から壁一面に描かれた絵がでてきたがゴミと一緒に捨ててしまった。以前ここに住んでいた有名作家のものということを後に知り"無知は罪"と感じた。


ロフトは、室内のゴミを捨てると広い空間になり、絵具や埃で色が変わった床をサンディングすると中からオーク色の床が現われ、重ねて貼られたシートロックの壁を取っ払うとオリジナルの赤レンガの壁が現われた。

俺は床の上に寝転び充実感を味わっていた。

部屋の改造は重労働だったが、休憩に飲むオレンジジュースと煙草が俺に活力をくれ次の作業に取り掛かった。思いっきり汗をかき、疲れた身体で床にゴロ寝をする。他人の部屋の改造と異なり自分のは爽快感があり楽しかった。

その後、奴らとは偶然パーティーなどで出会うことがあったが、会釈をする程度で軽く通り過ぎた。会話をしたそうな奴らを俺は反射的に拒否した。

親切にしたら最後まで親切にしなきゃ。
人の心をもて遊んではいけないよ。


さて、ロフトの家賃はアパートの倍額になり家計簿をつけていると不安だった。
親父からは毎月定額が銀行口座に振り込まれていたが、ロフトの家賃は厳しいものがあり初めて親父の金に世話になった。

パリと日本の画廊からの収入だけでは高い家賃を支払うことは無理だった。
なんとかしなくては・・・・ニューヨークで絵が売れれば助かるのだが・・。

ロフト改造で製作から遠ざかっていた俺はまた作家生活に戻ることにした。
渡米から半年が過ぎていた。



2005/12/25 (Sun)   



メリクリ




2005/12/25 (Sun)  ララバイナ〜レ(33)



小さな巨人・16
SML GIANT 16

VISIT'OR

出て行ってください!といった男は殆ど教室に現われなかった。
自立した嫁に頼る怠惰なこの男はこれからも安定した生活を送っていくだろう。

彼らと付き合っている頃、気持ちを許した俺は銀座の画廊を奴に紹介した。
そして奴は俺の画廊で個展をしている。この裏切り者は俺がチャンスをやったことに対してどう感じているのだろう。つくづく世渡りのうまい奴だと思った。
そして裏切りの屈辱をいつまでも忘れない惨めな俺だった。
しかし悪い体験をマイナス思考で捉えていては前に進めないではないか。
負けてたまるか!と一喝した俺は、自分を信じろ!と心の奥底に言い聞かせた。

作家は製作を続けることが使命と思っている。
昼間は教室で俺だけの世界に没頭し、夜は自宅で遅くまで作品と闘っていた。
自由に製作ができる場がある俺は幸福者だと思う。

学校の休憩では友達たちとデリで一杯のコーヒーを買い、片言英語で議論を交わし合った。駆け引きなしの仲間達はお互いを尊敬しあっていた。楽しい時間を共有できる彼らの存在は俺にとって何ものにもかえがたいものだった。
たまに俺が孤独になるのは出納帳を見る時で、なんとか親父の金を使わないで自活出来る方法がないものかと常に考えていた。
しかしそう簡単に思うようになるものではない。



話が変わるが、学校が運営する画廊で賞をもらった俺の作品が展示されていた。
展覧会後、プライベートディーラー(画廊を持たない画商)のエリザベスが俺の作品を預かりたいというので委託することにした。

ある日、エリザベスが30代後半のスーツ姿の紳士と一緒に学校へやってきた。

紳士は俺を見つけると満面の笑顔で近寄ってきた。
両手で俺の手を堅く握りながら、

ミスター船木!やっと会えた!
欧州で貴方の作品を見てから貴方を探していたんですよ。

たまたまエリザベスが紳士の所で俺の作品を見せていると、
紳士が絶句したそうだ。

こっ・・これは・・・船木の作品ではないか!!


紳士は57丁目にある某画廊のオーナーだった。

紳士がすぐに俺の作品を見たいというので、2人を俺の自宅へ連れて行った。

うーむ・・・

エリザベスは黙してイスに座っている。

長い沈黙の時間が過ぎ、紳士が口を開いた。

貴方の作品を全部買いたい。私の画廊と契約しませんか?
今後出来上がった作品はすべて私が買います。

紳士の名前はジェイムス・トンプソン。(匿名)

俺は救われた。



2005/12/26 (Mon)  ララバイナ〜レ(34)



小さな巨人・17

SML GIANT 17

HIGH & LOW

ジェームスは涼やかな顔で小切手にサインをした。


こんな大金の小切手を俺にくれるとは大した人だと思った。

彼はスポンサーというより兄のような人物で、俺の下手な英語にも気長に真面目に答えてくれた。大学教授だった彼は母国を去り、渡米後画廊を開いたそうだ。
渡米して初めての収入を得た俺はつくづく世の中捨てたものではないと感慨深く小切手を見つめた。

渡米後半年で持ち金を殆ど使い果たし、残金はゼロに近い状態だった。
特待生として優遇されて渡米したが、生活費はすべて自己負担。
出費は甚だしく引越し費用、材料費、ロフトの施工費、食費などはまだ何とかやっていけそうだったが、高い家賃の支払いは親父からの送金に頼らざるをえない最悪の状況だった。

ジェームスの好意に甘えた俺は製作に励み、作品の搬入ではいつも速やかに小切手を切ってくれた。税金申告も会計士に依頼し、ジェームスのお陰で快適なアメリカ生活の幕が開いたような気分だった。




うなぎの寝床のようなロフトでの生活は南窓から入る車の不快な廃棄ガス以外は快適だった。ホース管のお湯シャワーで1日の疲れを洗い流し、キッチンのガスコンロでは鍋でおこげ付の白米飯を炊くことも出来た。南窓と後ろの北窓から太陽の日差しがはいり、共に生きてきた植木も少し太ったように見える。

1ヶ月後、家主が突然やってきて全フロアーのロフトに風呂場を作り始めた。
それは願ってもないことだ。と喜んだのも束の間、家賃が倍額になるという。
俺たち住人は衝撃を受けた。

アパートの賃貸更新時、法律で何パーセントのみの値上がりが認められている家賃コントロールはロフトには該当しないとのこと。家主の言い放題の家賃になり、例え賃貸契約書を交わしていても無効になるということだった。すでに高い家賃なのにそれが倍額になると知った住人たちは家主に直訴をしたが却下された。

NYの家賃はその後も高騰を続けている。都会のNYは物価も高い。安い場所を探す住人たちはマンハッタンを去り、川向こうのブルックリン地区、クィーンズ地区などに移動せざるを得なかった。

ジェームスからの援助だけでは先が危ぶまれ、俺は稼いでも稼いでも家賃で消えていく非情な現実が悔しかった。


賃貸物件を探す日々がまた始った。
毎月高い家賃を払うくらいなら、安いクィーンズ地区にでも引越すか?いや違う。
何としてでもマンハッタンにいなくては俺の渡米の意味がないではないか。

それにしても俺は何回引越しをしているのだろう・・・





2005/12/27 (Tue)  ララバイナ〜レ(35)



小さな巨人・18

SML GIANT 18

ALMIGHTY $ERS

秋も深まり、俺は29歳の誕生日を暗い気持ちで迎えていた。


アパートの物件を探し回る日々は続いていたが、良い物件が見つからない場合はこのままこのロフトに住むしかない。住人達は1人去り、2人去り、そして俺が最後の住人になっていた。

気分転換に新聞の広告欄のBUY(買い物件)を見ていると、オープンハウス(誰にでも見せてくれる物件)の広告を発見。無料で見せてもらえるので早速電話で予約をした。

今住んでいるSOHO地区から少し離れていたが、近くには地下鉄の駅もあり便利な場所だった。現在の賑やかな環境と違い、交通量は少なく、まず人の気配がない。周りに建っているビルは同じく100年もので1階は部品作りの工場として利用されているようだ。

工場で働くブルーカラーの人々が、ビルの片隅で一列に座り談笑しながら弁当を食べる風景。派手なブランドショップなどで賑わうダウンタウンにもこんな庶民的な風情が残っている。そんな風景が俺は好きだった。

薄汚れた8階建てのビルの前で待っていると、ブローカーである中国人風の男が自転車でやってきた。


2階のロフトはモデルルームで、壁面が真っ白にペイントされ、高い天井、広い床面積、我々の話し声が反響するほどの広さだった。

3階から8階まで全部の階を自由に見学ができた。2階以外のフロアーは4面窓で窓数は15〜20窓。
窓ガラスは破れゴミが宙に舞っている。1階、2階の天井に比べるといささか低いがそれでもかなり高い天井で軽く3メートル以上はあったと思う。

鉄筋で5層レンガのロフトは元々倉庫で、構造上これだけ頑丈に作られたビルは他に類がないと思った。基本的な床張りから窓の修繕などの改装が必要だったが、俺がこれまで見たものでは最も素晴らしいロフトだと確信した。

ビルの持ち主はビルを買ってはみたが多大の借金を抱えてしまい、他の階を急いで売り少しでも負担を軽くしたいとのことだった。8階はオーナーのもので、4階はすでに買い手がついていた。

さて物件の価格についてだが、一般のロフトより格安ではあったが、それでも俺のようなアーティストに手を出せる価格ではなかった。俺のこれまでのいきさつを正直に説明すると、すぐに結論をだせば値引きをすると言ってくれた。中国人とおもった男は日系人だった。彼は懇切丁寧にビルの説明をしながら、NYの不動産は高騰を続けている。今後入手はますます難しくなることを断言し、損をしない物件であることを真面目に説明してくれた。

物欲の全くない俺だったが珍しくこのロフトには執着した。
毎月の家賃を支払い続けることを考えると間違いなく今が買い時だと思った。
では、こんな大金をどうやって捻出できるか・・俺のような無職の外国人に銀行が貸してくれるわけがない。定期的に作品を買ってくれる金持ちのジェームスにこれ以上の負担をかけるわけにはいかない。

では、誰がいる・・・?

あの物件を逃したくない俺は興奮していた。


その夜、俺は久しぶりに親父に国際電話をした。



2005/12/28 (Wed)  ララバイナ〜レ(36)

小さな巨人・19

SML GIANT 19


もしもし、俺・・俺だけど・・・・

おい、これではまるでオレオレ詐欺ではないか。汗
最初に電話にでた母がなにやら1人で夢中になって喋り続けている。

叔母ちゃんも年老いて、世話するはずの若夫婦が問題で・・
あ、それとこの前の台風で母屋の瓦が2枚ほど飛んで、
いや、瓦が2枚ではなくて・・違うんだよ・・。 
父ちゃんと変わってくれる?
んっまー、この子は久しぶりに電話してきて愛想もなんもない。

ホイ。父ちゃんだ。いつも手紙をありがとう。うんうん。

親父の穏やかな笑い顔が目に浮かんだ。
先ず、毎月のNYへの送金に感謝し、画廊が俺の作品を買ってくれるようになったことを伝えた。親に心配をかけたくないので、手紙には俺の寂しい生活ぶりは書いていない。そして、これからは住居を定め地盤を固めなくては今後の作家としての行動範囲が狭まると説明。
緊急に金が必要なので俺の定期預金を解約し、そして大いに足りない金額を親父から借りたい。そして借りる金額を定期的に返金することを約束した。

ロフトを買いたいんだ!父ちゃん!

そうか・・アメリカ人になるのか・・?
いや、アメリカ人とロフトとは違うんだ・・・
家を買いたいんだ。いや、一軒家ではなくてビルだ。

ほーっ。ビル持ちになるのか?
い、いや、違うんだ・・。ビルではなくて一階だけだよ。父ちゃん・・

倉庫と言っているが倉庫に住めないだろう?
う、うん・・住めないから住めるように改造するんだよ・・

ほぉー。お前は大工仕事ができるんか?
う・・うん・・一応。

いつの間に大工になった?
まだ作家なんだけど、色々あって・・・父ちゃん。
ああ・・電話代が・・汗

お前ももうすぐ30歳だな。嫁はもらわんのか?
いや、嫁よりロフトなんだ。父ちゃん・・汗

それで、ロフトを買って儲かるのか?
ウーン・・今は儲かるかどうかはわからんが、
帰国する時は売って帰る。安心してくれ。

そうか!帰国するのか!分かった!
あっ〜!今は帰れないぞ!おーーい!父ちゃん!

うんうん。わかっとる。送金してやる。ははは。




3日後、NYの銀行口座に振り込みがあった。




2005/12/29 (Thu)  ララバイナ〜レ(37)



小さな巨人・20

SML GIANT 20
CO-OP

親父は株で儲かり、また雑木林に高速道路が走るとかでその土地を売っていた。そんな大金を得た時期に偶然俺からの電話があったそうだ。その時は円高で為替も良く今が送金時と友人から助言されていたらしい。また別途それなりの利益があることを予想した上での送金だった。後で母から聞いたことだが、送金後は親父の残金が50万円となったらしい。

さて、10%のダウンペイメント支払後、複雑な書類上のプロセスを経て最終のクロージング(CLOSING)を迎えた。俺は銀行で現金小切手を作ってもらい、
震える手で鞄に収め、WALL街にある弁護士事務所にでかけた。

相手と俺側の弁護士のもとで互いの署名がなされ、俺の名前が印刷された株券(2 SHARES)が発行され、

ついに俺は3階ロフトの所有者になった。

同日、弁護士事務所にクロージング手続きに来ていた4階の買い手と出会った。年上の彼は建築家で俺より2日前に物件を見て即決したそうだ。4階の彼は3階の俺より200万円も安く買っていた。これからCO-OP株式会社の役員メンバーになる俺たちは固く握手を交わし、おめでとうございます。と喜びを分かち合った。

その後、すべてのフロアーが俺よりかなり高い価格で売られ、これで会社のメンバーが全員揃ったことになる。

メンバーは、小説家、医者、建築家、NETでメールオーダー商品を売る会社社長、そして画家で、全員がハーバード、エール、コロンビアなどの大学を卒業したつわもの共の小集団だった。

8階建てのビルはそれぞれが役員となり会社を運営していくCO-OPビルである。

これから起きるビルの運営と問題などを各人が調査報告をし、会議で話し合い、決定し、解決をしていく会社組織である。簡単に言えば、メンバーの1人が毎月の維持費が支払えない場合、残る全員メンバーたちが彼の分を支払う責任が生じるということである。

因みに俺は副社長だったが、ハーバードたちとの会話にはついていけない。
結果、計算しかない!と全員一致で俺を会計(TREASURER)に抜擢した。

クロージング後、29歳の俺は寒風吹き込むロフトに立ち、親の援助なくしては有り得なかったこの幸運を親に心から感謝した。最終手続きでは予想以上の出費があり、俺の銀行口座はわずか50ドル(約5000円)になっていた。が、しかし、
渡米1年目にしてやっと落ち着ける場所を得た俺には全く苦ではなかった。



割れた窓ガラスをシートで覆うと、寒さはしのげそうだった。
もはや無駄に家賃を支払う必要はないではないか。
俺は古い便器が残っているだけの殺風景なロフトへ引越しを決行した。



2005/12/30 (Fri)  ララバイナ〜レ(38)

小さな巨人・21

SML GIANT 21

LABOR

人を雇う余裕のない俺は1人で作業を開始した。


昼間働いている男たちは夕方職場からロフトに直行し、スーツから作業着に着替え、深夜まで作業をするのは俺だけではなかった。

全フロアーの大改造でビルは活気づいた。

床のオーク板をまとめて買えば格安というので皆で買い、取り分をそれぞれのフロアーに積み上げた。これは約50x10cmのオーク板を床に敷きながら1枚ずつクギで打ち込んでいくという大変な作業だった。これがフロアリング作業である。
余ったオーク板で、俺の作業机と居間のテーブルを製作することが出来た。

俺は頭に日の丸のハチマキを巻いて必死で働いた。

肩に材木を背負い、両手には重いペンキ缶を持ち、鍵でドアを開けるのが面倒なのでロビーの2重ドアは開け放たれていた。部外者の進入という危険性もあったが余裕のない我々は暗黙の了解のもとでドアを開放していた。

作業の材料を背負った俺が階段を上がっていると、上から降りてくる見知らぬ大男とすれ違った。

ハローと挨拶を交わした男は鼻歌を歌いながら階段を降りている。誰かのロフトの作業人だと思ったが、フト見ると大男は両手にカメラとラジオを持っている。
ラジオからシャカ♪シャカ♪とレゲの音楽が流れていた。

すれ違い様に見た、カメラとラジオ・・・・見覚えがある。うむ。

あ!あれは!あれは俺のだ!

背中に戦慄が・・取り戻したいが・・撃たれるかもト゛キト゛キ・・あきらめよう・・。

うーむ・・いや待て。ここは男になろう!

俺は竹刀を取りにいき、ダッダッダッと階段を駆け下りた。

フリーズ!止まれ!おい!こら!ト゛キット゛キッ

あうぅ・・何だぁ?

振り向いた男は、ポカーン顔。(こいつアホだな。ふつうは走って逃げるぞ。)

返せ!オイラのだ!返せーー!!

知っているあらゆる英語で怒鳴ってやった。

スイマセン。スイマセン。

大男は何度も謝りながら俺にカメラとラジオを手渡すと、転ばないようにゆっくり階段を降り去っていった。殴り合いにでもなれば完全に俺は殺されていたと思う。
アホな大男に拍子抜けした俺だったが、この事件でかなり用心深くなった。


にもかかわらず、俺はその後2度も泥棒に入られ・・・、
朝、目覚めるとあのカメラとラジオは消えていた・・・。




2005/12/31 (Sat)  ララバイナ〜レ(39)



小さな巨人・22

SML GIANT 22
にゅうよく

本物の大工になったような気がする日々・・・


脚立に上り、天井に這いつくばっての仰向き作業。首がねじれて元に戻らないのではないかと心配になるほどのキツイ作業を終えると、次は壁の古いペンキ落とし作業。平面の壁作りでは漆喰下塗り作業を2度繰り返した。


破れた窓ガラスは、ガラス切りで何度も指を切りながら新ガラスに取り替えた。他の連中は新しい窓枠をいれたようだ。金持ちだな。
床張りの用の釘打ち機械をレンタルしたら仕事がスムーズになり、床は3日で仕上げた。誰もが驚く脅威の仕事師である。


これらの作業と同時にとりあえずシンプルな台所を作り、少しずつ形ができていくロフトを眺めながらコーヒーをいれた。そして、5分の休憩が1時間に思われた俺は痙攣する手でハンマーを掴み立ち上がった。

いよいよ浴室である。浴室にバスタブを設置、床には白黒のタイルを貼った。
お湯タンクも設置し点火。試験的にタンクのお湯を風呂に溜めてみよう。
俺は温泉や風呂があまり好きではない。しかし、出てくるお湯を見ていると寒い心が温まる気持ちだった。溢れるお湯に魅せられた俺は汚れた作業着を脱ぎ風呂に浸かった。

ふぅ〜〜いい湯だな〜〜〜

風呂がこんなに俺を優しくするものなのか・・・・
湯船の中の裸体に労働のアザと切り傷が透けて見えた。


ロフト全部に1番安価な白ペンキを下塗り、乾いたら塗り、3度目を塗り終えるとロフトは自転車で走り回れる3000スクエア(約200坪)の体育館に変身していた。

これで、俺の一人ぼっちのロフト作りは1ヶ月の施工期間でとりあえず完了した。

この夜は12月31日大晦日だった。
どこかで花火の音がする。
俺は初めての新年を迎えた。



2006/1/1 (Sun)  元旦

あけおめ ことよろ
2006/1/2 (Mon)  ララバイナ〜レ(40)

小さな巨人・23

SML GIANT 23

A STEP

元旦。
ガランとしたロフトの真ん中にベット用マットを敷いて眠った。
微妙に落ち着かない体育館の真ん中で混沌とする俺。

欧米人は広々とした部屋に違和感を持たないで爆睡するのだろう。日本文化の襖と障子で育った俺とは違う。

うむむ・・無理だ・・眠れない・・

パジャマ姿の俺は紙に図面を描きながら、

そうだ!壁を作ればいいんだ!

新年早々俺は部屋作りを開始。寝室は2日で仕上げた。
寝室ができると次は台所の壁を作り、そして浴室の壁を作った。
施工前からビルに住み始めたのは俺1人で、他は1階のNET会社の従業員たちが忙しそうに働いているのみ。残りの連中達はチンタラチンタラ作業で改造は全く進んでいなかった。

そんなある日、国税庁から電話があり、今から税金申告のための住居査定に来るという。1階以外のすべての階は、アーティストの仕事場兼住居で登録している建物のため、80%を仕事場として使っていなくては税金対象になるという噂を聞いていた。何故*やってくるのか良くわからないまま、俺は慌てた。(* 筆者も分からないので適当に書いています。)

先ず、ピカピカの床の上にペンキで汚れた作業用の布を敷き、ゴミを散乱させ、キャンバスを壁にかけたり転がしたり、真っ白い壁を絵具で汚した。そして寝室を物置場に変身させた。やってきた係り官は、こんな所で作品を作れるの?どこで寝てる?俺のカモフラージュ作戦は成功した。

この件で、俺はつくづく永住権(グリーンカード)を欲しいと思った。
アメリカ滞在中、いつも査証(VISA)で悩み続けることは不安だった。定期的に収入のある俺は税金申告を行っていたが、そもそも俺の査証で収入を得ることは違法に近いものがある。ましてや俺の会計士はトンズラしていた・・。
ジェームス(画廊主)に迷惑をかけるわけにはいかない。
それにまた国税庁が突然やってくるかもしれない・・・。

申請を決意した俺は、早速電話帳やPCで移民弁護士(IMMIGRATION LAYER)の欄を検索したがあまりにも多すぎる弁護士達の数に驚いた。
悩んだ結果、ランダムに鉛筆の先が指した弁護士に電話をすることにした。

約束の日。
弁護士事務所を訪ねると20代後半の日本女性が笑いながら挨拶をしてきた。

船木さん。お久しぶりです。真美子です。覚えていらっしゃいます?

おっ!高校時代の下級生、真美子ではないか!

彼女はNY大学で修士を終了後、この弁護士事務所で働いていた。
帰国子女の彼女は日本の大学終了後渡米、修士では法律を選択したらしい。

俺は真美子のボスであるユダヤ系アメリカ人の弁護士・ゴールドマン氏と握手を交わし席についた。真美子の通訳で俺のグリーンカード申請希望を述べると、
ゴールドマン氏は俺のファイルを閉じて言った。

気の毒ですが、グリーンカード申請は・・・無理です。




2006/1/3 (Tue)  ララバイナ〜レ(41)

小さな巨人・24

SML GIANT 24

LAW-YEAR

弁護士ゴールドマンの冷たい告知で落ち込み度126%の俺。


ロフトを買い製作を続けられる環境を作り、これからだというのに奈落の底に突き落とされた気分だった。今後、俺は地に足がつかない浮草のようなエアリアンで不安な生活を送るしかないのか・・スティングの歌が俺の脳裏に浮かんだ・・BRITISHMAN IN NEW YORK・・・・。

残念でしたね。。と真美子が昼食に誘ってくれた。
コーンマフィンにかぶりつく小顔の真美子。。俺はとても食う気分ではない。

ゴールドマンが言うには、俺の職種(アーティスト)が問題らしい。昔は可能だったのだが、最近は特に難しいそうだ。まず不可能に近いとのこと。最近は宝クジの抽選で運良く取得する人もいるので抽選で申請しておきますか?といってくれたが、くじ引き当選を待ち続けるのは苦痛だった。

やっぱり無理でしょうか?

無理というより、まず不可能です。
アーティストとしてアメリカへの貢献度と必要性が必須なのです。

うむ、確かにアーティストはいてもいなくても良いようなものだな・・・
つまり、医者とか研究者のような技術屋は可能性あるのかな・・
その貢献度とは具体的に何をもって証明できるのですか?

そうですね・・たぶん知名度の高い美術館に収蔵されていて、
そこの館長かディレクターからの推薦状が必要でしょうね。
それも一枚では駄目ですよ!多ければ多いほうが有利です。
また保証人からの推薦状も必要です。

保証人はジェームス(画廊主)だな・・彼なら推薦状を軽く書いてくれる。
問題は、美術館か・・う〜む・・

あ!そうだっ。

俺はこれまで数々の公募展に出品し賞をもらっているではないか。
それも殆どが美術館だ。イスラエル、アラブ諸国、インド、ブラジルなどの他に多数の公募展もある。ついでにフランスと日本の画廊からの推薦状も良いな!
おーー!あるではないか。だが、しかし殆ど知名度がない・・・

最も大切なのはNYの近代美術館(MOMA)、メトロポリタン美術館、ブルックリン美術館、ユダヤ美術館などの地元(NY)の美術館のものなら間違いなく移民局を納得させられるはず。フム。

取り合えず、真美子が作ってくれた推薦状のサンプルを100枚程コピーを作り、
それぞれの美術館および美術関係各位へ返信用封筒を同封し郵送した。

何通の返信があるだろう。俺には全く未知数だった。



2006/1/4 (Wed)  ララバイナ〜レ(42)

小さな巨人・25

SML GIANT 25

WAITING ROM

先方からの返信を待つ間、ロフト生活を少し話してみよう。

俺がロフト生活に慣れた頃、住人達全員の引越しが完了した。
ビルに1人で暮らす孤独感がこれで解消した。

俺達のビルの後方には非常階段があり、その下には広い敷地の駐車場がある。
駐車場は周りを8階建のビルと道路とで囲まれているため、夜は俺達のビルから駐車場をライティングで照らすように設定してある。泥棒の防止用に設置したものだ。

朝6時、駐車しているトラックのエンジン音が騒音となり、窓際に寝室のある住人達は「ウルサーイ!まだ寝てるんだよー!静かにしてくれ!」などと大声で文句を言うが、運転手達は一向に構わない様子。毎日が同じ騒音で始るダウンタウンの朝である。

昼間の騒音に比べると夜は静寂そのもの。隣の窓、向かいの窓、それぞれの家の窓に明かりが灯り住人達の安らかな生活が感じられる。
人々はビルの非常階段で鉢植えの植物を育て、屋上にはペンタハウスがあり多種の植木や鉢植えが新芽をみせている。

夜10時頃、階下の住人から電話があり、直ぐに電気を消して駐車場を見てごらん。と言っている。上の階からも電話があり、同じく電気を消せ・・と言う。

ビル全体が真っ暗になった。

突然、屋上から何かが落下したようだ。ガチャーン!
同時に、上の住人が何か叫んでいる。

これでも食らえ!ガチャーン!

もう一個、鉢植えを上から落としたようだ・・・。
続いて別の住人も鉢を落としている。では、俺も・・ガチャーン!

すると、俺らの非常階段から駐車場に降りた男が、

わーい。下手クソ!当たらねーよ!
バーカ!バーカ!ひゃはははは!

その男は非常階段から俺等のビルへ泥棒に入ろうとしていたらしい。
非常階段を上がる挙動不審の男を偶然見つけた隣人が電話をくれたとのこと。

そして男はキング・コングのように非常階段から隣のビルに乗り移り、次のビルへ移動している。暗くてよく見えないが隣人たちと泥棒の罵声が聞こえる。
そうなるとあちこちの窓の住人も鉢やら何やらわからんものを落下している。

お!こっちに来たぞー!
そっちへ行ってるわよ!
誰か警察へ電話して!!撃って!
あああああああああ。こっちへ来る!!


ぎゃはははははは!バーーカ!!

猿のようにビルを飛び回る泥棒と追跡する住人たちとの攻防戦。ハァハァ。

30分後。
男は音なしでやってきた覆面パトカーに御用となり、これにて一件落着。

パトカーに乗せられた泥棒の捨て台詞は、

おまえら下手すぎっ!ぎゃはははは。




2006/1/6 (Fri)  ララバイナ〜レ(43)

小さな巨人・26

SML GIANT 26

BEST FRIEND

近所のロフトに住む47歳の医者と知り合いになった。最上階の彼の住いは、高級な家具と機能的な設備がなされ申し分のない素晴らしいロフトである。
彼は在米20年以上で、日本には1度も帰国していないという。昔はアメリカで医者の免許を取るためにはアメリカ国籍を取得しなくてはならなかったそうだ。

彼はいつもフラッとやってきてはスポンジに布を掛けただけの粗末な手製ソファにゴロンと横になり、居眠りをするのが常だった。

ここはいいな〜。何もない。
人生50年だよな〜船木君。
俺自身は50にはまだ早すぎると思った。


スキヤキ牛肉をたっぷり買い込んだドクターは鍋の肉を少しだけ口にするだけで俺に腹いっぱい食わせてくれた。
彼のロングアイランドにある別荘にも行き、長い距離を彼は1人で運転し、俺が代わると頼んでもハンドルを放さなかった。一緒に冷たい大西洋の浜辺を散策したものだ。別れた彼女との思い出が残る別荘でドクターは時々寂しそうな顔をみせた。別荘は近々売り家になるとか。

別れた彼女は自立した美しい女性だった。別のロフトに住んでいる彼女は俺に時々電話をくれた。たぶん元彼の近況を俺から聞きだしたかったのだろう。
別れた理由を語らない2人だったが、巷の噂で俺は知っていた。

たまたまドクターと俺が車で彼女の家の前を通り過ぎる時、外に出てきた彼女を横目で見ながら、ドクターが大声で、

ばっきゃろーーー!!!

車は猛スピードで走り去り、呆然と見つめる彼女の姿が視界から消えた。

ドクターには持病があり、勤務先の病院で治療を受けていたが、いきなり発作がでる病気だった。電話で連絡があり、病院に駆けつけると普段着姿のドクターがベッドに横たわっていた。俺に気づいたドクターが俺に背中を叩いてくれ!と言う。

良いのかな・・?思ったが、後生だから叩いてくれ!と言う。
俺はコンコンと背中を軽く叩くと、駄目だ!もっと強くっ!

俺はゲンコツで叩き続けた。泣けた。

痛みが消えたドクターは笑いながら、

ありがとう。楽になった。船木君。
犬畜生は恩を忘れるが俺は忘れない。

それ以来、ドクターに誘われると俺は可能な限り付き合った。
どこへ行くのにも一緒について行った。

ある日突然、絵を買いに行こう。とドクターが言いだした。
ドクターはいつもセッタを履き、俺はペンキが染み付いた作業着とスニーカー姿。
見るからに貧相な俺らの行き先は天下のササビーズオークションだった。
オークションが始る前に展示物の下見を2人で見て回った。

船木君、君はどの絵が良いと思う?

どれもこれもガラクタばかりに見えた俺は、さしずめこれくらいかな・・?

そうか。わかった。

ドクターはスタスタと競売会場へ入り、はい!と手をあげて買ってしまった。その場で現金で支払ったドクターは油絵を車のなかにポイと投げ込み、

さて、この絵をどうする?船木君。

ハンドルを握ったドクターが言った。


2006/1/8 (Sun)  ララバイナ〜レ(44)


SML GIANT 27
小さな巨人・27

GAMBLE

この絵を選んだ理由はなんだね?船木君。

はい。フランスで留学生の女性と知り合いまして、僕の渡米では彼女に色々世話になりました。彼女はロリータという人で、自称・絵描きです。

この画家については彼女から聞いていました。なんでも彼女の先生がこの作家の作品を収集しているそうで、彼女はガキの頃からこの絵をいつも見て育ったそうです。日本ではかなり知名度が高い作家だと思います。

NYは現代作家がかなり幅を利かせているので、こういう手合いの商業アートは綺麗というだけで・・・・もう少しインパクトが弱いかもしれません。技術的にはかなり上手い作家だと思いますが、僕はこの作家を大して評価していません。
ただ知名度ということで選びました。

ということは、こういう絵はNYでは売れないということかね?

先生が支払った値段で売れるかも・・・・・
でも・・・NYに扱っている画廊があるとしても、
その画廊が高値で買うとは思いません。

なるほど。では高値で売るとしたら船木君なら何処へ売る?

たぶん・・・日本。

うん。分かった。では日本へ売ろう!

え?売るために買ったんですか?

そうだよー。いくらで売れるか試して見ようよ。ははははは


数日後


ドクターは絵を日本へ帰国する友人に某画廊へ運ぶことを依頼した。



2006/1/8 (Sun)  ララバイナ〜レ(45)


SML GIANT 28
小さな巨人・28

MILLION DOLLAR BOYS


2週間後


「開けてごらん」

ドクターが食卓の上に封筒を置いた。

うわ!札束だ。

日本円が50枚入っている。

あの絵が、10万円(1000ドル)が50万円!に化けたんですか?

そうだね。覚えておくと良いよ。

先生、僕もあんな所で買えるんですか?

金さえあれば買えるさ。いつも上手くいくとは限らない事も覚えておくほうがいいよ。持ち続けるとゼロになるかもしれないし、逆にもっと値上がりをするかもしれない。私は老い先短いから持ち続けても仕方がない。小さいギャンブルをしただけさ。

世界中の一流の美術品がああいう所で競売になるんだ。美術館が欲しがる逸品が沢山売られる。もちろん世界中の画商やコレクターたちが競って買ったり売ったりする場なんだよ。今回は家財が売られていたが、メインの絵画の売りはクラスが違う。どこかの美術館に迷い込んだような錯覚に陥る。
船木君。君もいつか見に行くことを勧める。


俺はいつもMOMA、グッゲンハイム、ホイットニーなどの美術館を見ていたが、
巨匠の作品をより間近に、もしかしたら白い手袋で触れるかもしれない?そんな所があるのか・・・・つまりMOMA以外でも俺の尊敬するジャスパー・ジョーンズの作品を見られるということだな・・これは素晴らしいことではないか。

ところで、毎日がグリーンカード人間の俺は、郵便受けを何度も確認しているが
各国に速達で送った手紙の返信は一枚も来ていない。

投函日から1ヶ月が過ぎていた。




2006/1/10 (Tue)  ララバイナ〜レ(46)


SML GIANT 29
小さな巨人・29

キタ━━━(゜∀゜)━━━━!!

来るわ来るわ!
ヨーロッパ、アラブ、ブラジル、日本から国際色豊かなエアメイルがきましたぞ!
最も近場のニューヨークからも届き、父ちゃんの知人で、まったく絵と関係のない知らない人からのエアメールも届いている・・・汗。

結果、1週間で60通の返信があったことになる。

ニューヨークのブルックリン美術館からは[申し訳ありません。]と丁寧な返信もあったが、殆どが気持ちよく推薦状を書いてくれている。肝心のメトロポリタン美術館はドクターが美術館の知人に頼んでくれ、俺は彼の交際範囲の広さを知った。
ドクター自身も彼のレターヘッドで流暢な英文で認め、「枚数の足しにしてくれ。」と手渡してくれた。

こうして100通には及ばなかったが、86通もの推薦状を集めることが出来た。

返信を待つ間、俺は少しの可能性を求めて何度も弁護士事務所に通っていた。
その度に失望する俺を見かねていたのだろう。今回は画廊主のジェームスが弁護士の所へ直談判に行くと言う。

弁護士事務所では弁護士と助手の真美子が集まった推薦状の束を見て驚いた。
改めて俺の粘着な性格を読み取ったようだ。ジェームスも弁護士を説得している。

弁護士は・・考えていた。

そして、

何度も申し上げていますが、
船木氏のような画家の職種では永住権取得は無理なんです。
しかし、万が一の可能性があるかも・・・・うーむ

OK。危険ですがやって見ましょう。


無言で握手を交わしながら全員が優しい眼になった。たぶん俺の眼は安堵と感動で涙眼だったと思う。「船木さん、やりましょう!」と真美子も嬉しそうに微笑んだ。

そして、我々は次のステップに移った。
書類上の手続きを準備するのは弁護士事務所で、財産については俺のロフトの証明書と銀行残高。身元保証と今後の収入についてはジェームスが画廊のレターヘッドで提出。様々な手続きを行いほぼ必要書類は完了した。

一般的な永住権申請の結果は数年、噂では5年以上待ち続ける申請者もいるという。俺の場合は・・・どうなるのだろう。白黒決着の特殊申請人なので結果は明解にでると弁護士が言っていたような。。。もし負け組みとなれば、そのまま帰国を余儀なくされるはず・・

厳しい現実に今更怯えても遅い。
俺はまな板の上の鮒である。
○か×か・・・やるしかないではないか。




2006/1/11 (Wed)  ララバイナ〜レ(47)


SML GIANT 30
小さな巨人・30

PRE-MATCH

現在は9・11で消滅してしまったが、崩壊前の世界貿易センターの周りには、
世界経済の中枢であるウォール街、市役所、裁判所、法律事務所などのビルが密集している。高いビルの一角にあるのが様々な人種で混雑する移民局である。
俺の弁護士事務所は移民局の正面にある。

すべての必要書類が整い、いよいよ移民局でのインタビューを待つのみとなった。
弁護士事務所でアシスタントの真美子から俺より少し若いジェフという弁護士を紹介された。彼が俺のインタビューを担当するという。
身を削る思いでやっと最終のインタビューまで漕ぎ着けた俺の苦労をこんなペーペーの経験のなさそうな新米弁護士に任せるというのか?冗談はやめてくれ!

はじめまして。MR.船木。

ヨロシクお願いします。ジェフ。
(ヨロシクって挨拶しちまったよ・・・。)

赤面して恥ずかしそうに微笑むジェフの顔は良く言えば温和、悪く言えば・・かなり内向的な性格のように感じた。この非常事態に彼のような内気な弁護士で大丈夫なのだろうか。もっと威圧感がないと移民局の審査人と対等に問答ができないのではないか・・・。だが、しかし俺は弁護士の選択について文句を言える立場ではない。最終決戦をこのシャイマンにすべてを託すしかなかった。


では、明朝午前7時に移民局の審査室の前でお会いしましょう。

ジェフが赤面顔で見送ってくれた。

俺は試験的に徒歩で移民局から自宅まで歩いてみた。所要時間は30分。
地下鉄が遅れることも考えられ、タクシーも渋滞という危険性があるので現地までは確実な徒歩で行くことにした。

家に帰った俺は審査人に見せる作品の入ったポートフォリオを再確認し、眠れない長い夜を迎えた。明日は5時に起床し現地でジェフを待つことにしよう。