親父は株で儲かり、また雑木林に高速道路が走るとかでその土地を売っていた。そんな大金を得た時期に偶然俺からの電話があったそうだ。その時は円高で為替も良く今が送金時と友人から助言されていたらしい。また別途それなりの利益があることを予想した上での送金だった。後で母から聞いたことだが、送金後は親父の残金が50万円となったらしい。
さて、10%のダウンペイメント支払後、複雑な書類上のプロセスを経て最終のクロージング(CLOSING)を迎えた。俺は銀行で現金小切手を作ってもらい、
震える手
で鞄に収め、WALL街にある弁護士事務所にでかけた。
相手と俺側の弁護士のもとで互いの署名がなされ、俺の名前が印刷された株券(2 SHARES)が発行され、
ついに俺は3階ロフトの所有者になった。同日、弁護士事務所にクロージング手続きに来ていた4階の買い手と出会った。年上の彼は建築家で俺より2日前に物件を見て即決したそうだ。4階の彼は3階の俺より200万円も安く買っていた。これからCO-OP株式会社の役員メンバーになる俺たちは固く握手を交わし、おめでとうございます。と喜びを分かち合った。
その後、すべてのフロアーが俺よりかなり高い価格で売られ、これで会社のメンバーが全員揃ったことになる。
メンバーは、小説家、医者、建築家、NETでメールオーダー商品を売る会社社長、そして画家で、全員がハーバード、エール、コロンビアなどの大学を卒業したつわもの共の小集団だった。
8階建てのビルはそれぞれが役員となり会社を運営していくCO-OPビルである。
これから起きるビルの運営と問題などを各人が調査報告をし、会議で話し合い、決定し、解決をしていく会社組織である。簡単に言えば、メンバーの1人が毎月の維持費が支払えない場合、残る全員メンバーたちが彼の分を支払う責任が生じるということである。
因みに俺は副社長だったが、ハーバードたちとの会話にはついていけない。
結果、計算しかない!と全員一致で俺を会計(TREASURER)に抜擢した。
クロージング後、29歳の俺は寒風吹き込むロフトに立ち、親の援助なくしては有り得なかったこの幸運を親に心から感謝した。最終手続きでは予想以上の出費があり、俺の銀行口座はわずか50ドル(約5000円)になっていた。が、しかし、
渡米1年目にしてやっと落ち着ける場所を得た俺には全く苦ではなかった。
割れた窓ガラスをシートで覆うと、寒さはしのげそうだった。
もはや無駄に家賃を支払う必要はないではないか。
俺は古い便器が残っているだけの殺風景なロフトへ引越しを決行した。