BBS DIARYLIBRARY 

ロリ〜タのひとりごと

2006/1/13 (Fri)  ララバイナ〜レ(48)



小さな巨人・31

SML GIANT 31
ATTACK GOGO

かかってこい!

船木さん・・・残念でしたね・・。
弊社も出来るだけの努力をしたのですが・・。

弁護士ゴールドマンと真美子がうな垂れた。
彼らの後ろで俺の担当した新米弁護士のジェフが赤面している。

えっー!俺の永住権申請は却下されたんですか?
俺のアメリカ滞在はこれで終焉になるのですか?

何?今から2週間以内にアメリカを出国しろと?
これではフランスと同じではないか!
俺はまたしても同じ失敗を繰り返したことになる。
ジワッと冷や汗が出てきた。苦しい・・。

誰か!助けてくれーー!あああああああああ!


ん?朝か・・・
縁起の悪い夢をみたもんだ。
こんなに寝汗をかいているではないか。
何時だろう?枕元の目覚ましは・・と。6時か。OK.

ん?6時?AM5時に目覚ましを合わせた筈だが??
ええええええええええええええええええ!
目覚ましをPMに設定しているではないか!


嗚呼・・・・外は白々と明けている。完璧な俺の予定が完全に崩れた。
友達から借りたヨレヨレのスーツを半身に、ネクタイを首から垂らし、大きいポートフォリオを持った俺は家を飛び出した。もはや徒歩では間に合わないかも。
よし。タクシーで行こう!ブロードウェイ通りを真っ直ぐ下に走れば現地に着く。
俺はブロードウェイ通りまで走った。タクシーーッ!止まってくれ!

ぎょっ!まずい。空席が1台も無いではないか!

俺は機転を利かせて、走りながらタクシーの空車を探すことにした。
俺はブロードウェイを走る小さな走者。ガキの頃から走りには自信があったが、
ポートフォリオが邪魔で思うように走れない。ダッダッダッダッ。

走りながら俺は考えた。このNYでは無駄に走ると犯罪者と勘違いされるかも。
スーツ姿とはいえ、薄汚れたクシャクシャの服と大きな荷物をもっている俺・・・。
おまえら!お願いだから泥棒と間違えんなよ!
嗚呼・・泣けてくるよ・・寝坊が原因でグリーンカードとグッドバイかよ・・・・。

ジェフとの約束時間が7時。たぶんジェフは新米弁護士だから当然予定時間より早く現地入りをしている筈・・今頃、依頼人がいないのでイライラしているだろうな。そして俺は、見てごらん。あの人が愚かな船木タンだよ。と子々孫々言い継がれていくんだろうな・・・。


くそおおおおおおおおおおおおおおお!

アタック汁!ハァハァハァハァ。




2006/1/14 (Sat)  ララバイナ〜レ(48)



小さな巨人・32

SML GIANT 32
GREEN ROAD



ダダダッダッダッ!
ハッハッハッ!

immigration
おー!移民局のビルが見えてきた!
もう少しだ。頑張れ!船木クン!
走りながらネクタイを結ぶ器用な俺。ハァハァハァ。
7時まであと5分だ。ラストスパートをかけろ!



7時ピッタリに現場へ到着した俺は、汗を流しながら申請者用の待合室に走った。

うわっ!何だ?この長い列は・・・・・

申請者が少なくても100人はいるではないか!

俺は弁護士のジェフを眼で探した。
約束の7時より早く来ているはずだが・・トイレかな?
俺は列に並び順番を確保し、ジェフの登場を待つしかなかった。
20分経過。ジェフは現われない・・・。

7:30

おはようございます。MR.船木。

コーヒーカップを片手にジェフが微笑みながら声をかけてきた。

あ、ジェフ。おはようございます。

ジェフも寝坊したのか?それとも俺よりコーヒーを優先したのか?
依頼人より遅れて来たことに対して罪の意識はないのか?
冗談じゃない・・俺なんて必死で走ってきたんだぞ。
それにコーヒーも飲んでないし、タバコも吸っていない。
嗚呼・・タバコが恋しい・・。

いつも通りピシッと着こなしたスーツー姿のジェフが、

では、行きましょう。MR.船木。

え?順番ではないのですか?
他の申請者から文句が来ませんかね・・?

笑顔のジェフはゴミ箱にコーヒーカップを投げ入れた。

ジェフが入り口のドアの前に立っている守衛と何か話しをしている。
そして守衛がドアを開け、俺達は入室した。
いよいよ審査官と対面である。俺はブルッと武者震いをした。



2006/1/17 (Tue)  ララバイナ〜レ(49)



小さな巨人・33

SML GIANT 33
MS.LIBERTY


ドアを入るとそこはかなり広い部屋だったと記憶している。
ジェフの後ろについて歩く俺には周りを観察する余裕など全くなかった。
広い部屋には沢山の机が並び、その1つの机の前でジェフが立ち止まった。
審査官は大柄の黒人女性だった。

審査官とジェフは穏やかに微笑みながら握手をしている。
ジェフが俺を紹介すると彼女はスッと手を差し伸べてくれた。
俺の握手する手は緊張でジットリと汗ばんでいる。

俺達は彼女の前に座り、ジェフが書類のファイルとパスポートを彼女の机の上に提示した。彼女はパラパラと申請書類に眼を通し、次は俺が必死で集めた85通の推薦状の束を見ている。俺は1番上にメトロポリタン美術館を、次にMOMAなどを順番に重ねておいた。

彼女はメトロポリタンの推薦状を読みながら感慨深い表情をしている。
俺に何か質問をしたが俺は緊張のためか即答できなかった。すかさず微笑みながらジェフが答えてくれたようだ。彼女も微笑みながら頷いている。穏やかな彼女の眼が俺と書類を交互に見つめ時間が止まったように感じられた。

ジェフが俺に優しくささやいていた。

MR.船木。ポートフォリオを。

俺は用意した作品を1点ずつ下手な英語で説明していった。

素晴らしい作品ですね。

1点進呈したいですが・・・・
それはいけませんよね?

ええ、駄目です。
画廊へ買いにいきます。値引きしてくださいね。

そして、彼女は俺のパスポートの1ページを開くと、バン!とスタンプを押した。

立ち上がった彼女は俺とジェフに握手を交わしながら、

MR. 船木。お目にかかれて光栄です。
貴方のご活躍をお祈りしています。

日本式のお辞儀をする俺に彼女は笑いながら答えてくれた。

退室した俺は、次のインタビューは何時ですか?とジェフに問った。

MR.船木。インタビュー審査はこれで終わりました。
グリーンカードは取得できました。
約1ヵ月でグリーンカードが郵便で届きますよ。
おめでとうございます。MR. 船木。

俺の両足はガクガクと震え、全身の力が抜けた。
俺は夢を見ているのだろうか?これは昨夜の夢の続きではないのか?
わずか10分間のインタビューで最終結果が出たというのか?

疑心暗鬼の俺はジェフに再度質問をした。冷静に説明をするジェフの一言一句を聞きながら俺はすべてを理解した。2年前のパリの屈辱はこれで御破算となり、俺の大したことのないこれまでの苦労は決して無駄ではなく、これでアメリカという未知の国に一歩足を踏み込めたと思った。


ありがとう!!ジェフ!
本当にありがとう!MS.審査官!

合衆国が俺を歓迎するかのように星条旗が青空に揺れていた。



2006/1/18 (Wed)  ララバイナ〜レ(50)



小さな巨人・34

SML GIANT 34
BINGO!

ENGLISHMAN IN NEW YORK・JOHN & YOKO

郵便配達人は2度ベルを鳴らす・・そうです。いつも定刻にやってくるのです。

俺の住むビルは100年前の古いものだが郵便受けとブザーを新しく換えていた。
ドアマンのいない小さい8所帯のビルなので郵便書留、速達などの場合はブザーで知らせてくれる。不在時は必ず配達状をドアに貼り付け郵便局止めにしてくれる。紛失は有り得なかった。不安な気持ちで待ち続ける俺の1ヵ月は長く、俺の期待に反して、そして1ヵ月が過ぎた。

来ない・・。

心配だったので弁護士のジェフに電話をすると、アメリカ政府のやることですから忘れた頃に届きます。と素っ気無い返事だった。

製作をする気分ではなかったが生活費を稼がなくてはならないので相変わらず作業を続ける俺だった。そんな俺を心配してくれたのか弁護士事務所の真美子は何度も電話をくれた。船木さ〜ん。お昼を一緒にしましょうよ〜。

1ヵ月間学校からも遠ざかり家に引きこもっていた俺は、無駄に外出をする気持ちではなかった。が、弁護士事務所からの誘いだったので出かけることにした。
いつものダイナー(喫茶店)に行くと、真美子とジェフが先に来て話しをしていた。
真美子は余程好物なのか今日も同じコーンマフィンを食っている。ジェフに流暢な英語で何やら話し込んでいるようだ。よく喋る女だな・・・・。
ジェフは彼女に相槌を打ちながら、立ち上がって俺に握手をした。

グリーンカードはまだ届きませんか?
ええ・・まだ。

そのうちに来ますから気長に待っていてくださいね。
はい・・。

ハーバード卒のジェフは真美子の文句や愚痴をいつも黙って聞いている。
そもそも真美子の会話内容は例え日本語でも理解できない俺だった。
俺より年下のジェフは偉い。人間ができている。忍耐強く寛大な人間だと思った。

2人に励まされたものの気持ちがスッキリしないまま、俺は帰宅した。
いつもの癖で郵便受けを開けると、広告などの郵便物が入っている。
速達も書留も来ていない・・。嗚呼・・今日も来なかった・・・・。

部屋に入り、DMのゴミ郵便物を1つずつゴミ箱に捨てていると、
絶対に見落とすくらい小さい封筒がDM郵便物の中から出てきた。
差出人は誰だろう?State of New York Naturalization・・・・?

もしや・・

俺は難しそうな差出人の名前を見て手が震えた。
震える手で俺手製の竹製オープナーを封筒の隙間に入れ、開封した。

こ・・これは・・・

ああああああああああああああああ

俺の顔写真入りのグリーンカードが入っているではないか!!

おおおおおおお!合衆国は俺を見捨てなかった!!



2006/1/19 (Thu)  ララバイナ〜レ(51)



小さな巨人・35

SML GIANT 35
HOMECOMING

あちゃー!

船木さんが一時帰国なさいました。(以後敬称略)

幸運にもNYの画廊が定期的に作品を買ってくれるので自活の目途がついた船木さんでした。父からの毎月の送金及びロフト購入の際の多額の送金のお礼、今後の返金方法の話し合いを目的とした帰国でした。銀座での個展も企画していたので2週間の短い日本滞在でした。この滞在中、免許証の更新手続き、年金手続きなどの書類上の手続きも予定していたそうです。

船木さんは、グリーンカードを初めて使って帰国したのですが、永住権の意味を家族には説明していた筈なのですが、とんでもない勘違いが生じていました。

船木さんの帰国前にアタシがお父様に電話をした際、お父様がおっしゃいました。

ロリさんや。実は息子がアメリカ人になりましてな。
私も知り合いの政治家に推薦状を書いてもらったんですが、
面接では大変役に立ったと息子が言っておりました。
それと、息子はニューヨークにビルを買いましてな。
今や不動産王ですぞ。わっはははは!

アメリカ人になったて?・・違うだろ・・
ビル王かよ!・・普通のロフトだと思うけど・・・


アタシから説明をしても無理と思い、ここのところは穏便に電話を終わりました。
アタシの親なら娘がアメリカ人になれば悲しむはずなのですが・・不思議でした。

さて、船木さんは個展会場を抜け出し免許証の更新手続きにでかけたそうです。
住民票などを必要としたため、区役所の窓口にいくと現住所が・・・

ニューヨーク!になっているではないか!

そりゃもう元通りにするのに苦労したそうです。

父ちゃん。オイラの住所がニューヨークになっとった!
アメリカ人になったのだから当りまえだな。
父ちゃんから区役所の人にお願いしておいた。

えええええええええええ!!

もしや、戸籍も剥奪したのではないか・・?
うんにゃ、まだしてないよ。それも近日しておくよ。

ま、まってくれ。俺は日本人だよ!!父ちゃん!
あらま、そうなん?まだ日本人なのか・・・・?

うんうん。オイラずーと日本人なのよ。
ありゃりゃ そうなのか。


温厚なオヤジがもっと温厚になっている・・・と船木さんは心配したそうです。




2006/1/20 (Fri)  ララバイナ〜レ(52)





小さな巨人・36
SML GIANT 36

涙のオーディション
NEW YORKER

俺は初めてのグリーンカードで渡米した。

また入国管理局の長い列か・・と思っていたら、米国人、永住権所持者達は別の列に誘導された。向こうを覗うと同じ機内の日本人乗客達が旅の疲れを見せながら長蛇の列に並んでいる。
俺の列の管理官からの質問は簡単なもので僅か5分で終了した。

休暇で日本に行ったの?楽しかった?
WELCOME BACK!

あれほど恋焦がれたグリーンカードを得ても特別の恩恵があるわけではない。
収入にたいする税金の支払いも真面目に報告する義務が生じる。
当然、アメリカ国籍を取得していない限り選挙権もあり得ない。

米国での職探しでは雇用主からグリーンカード保持を要求されるため、長期滞在を希望する渡米者達は誰もが先ず取得したいと切望し、3年、5年もの長い間ひたすらインタビューの吉日を待つ人々が少なくはないという。
俺のような第3優先の職種で、また超短期間で入手できることは稀なことらしい。

俺の噂を聞いた作家や学生達は直ぐに弁護士事務所に走った。が、そう簡単にいくものではなかった。俺のように作家としての永住権申請が成功したことは聞いたことが無い。俺は運が良かった・・と胸をなでおろした。

あの日の弁護士・ジェフの隠し技は何だったのか今もわからない。いくら聞いてもジェフは柔らかい微笑みを見せるだけで詳細を語ってくれなかった。いずれにしてもジェフの才腕に礼を尽くしたいと思う。
しばらくしてジェフは独立し自分の弁護士事務所を構えた。あの真美子はジェフの妻となり彼の助手として今も事務所で働いている。誠実な弁護士として多くの顧客をもち地味ではあるが確実な人生を歩み始めたジェフ夫妻にエールを送りたい。

様々な人たちが試行錯誤をしながら生きている中で、俺は人との出会いの重要性をひしひしと感じている。出会いの枝々は過去と未来を繋げる大樹となる。

たとえ異文化の環境でも自分の足元を先ず見定めて誠意をもって対処し、自分の方向性を見失うことなく目的を持って今を生きることである。

そして、「これが俺の限界」と見定めたら模索しながらも別の生き方をする覚悟はできている。



筆者の記録から、一時帰国した船木さんの印象について

パリ時代の船木さんからは想像できない程の変貌を遂げていらっしゃいました。
あの頃の船木さんはいつも世間の顔色をうかがい、良く言えば物腰がどことなく控えめで優しい雰囲気の人でした。トレードマークの肩までのロンゲはバリカンの短髪に変わっていました。眼光鋭く、もはや口に手を当てる仕草もなく、相手の眼を真っ直ぐに見て堂々と会話を楽しんでいらしゃる姿に余裕を感じました。
また時おり見せる茶目気と清々しい笑顔が印象的でした。


ララバイナ〜レ・小さい巨人編が長くなりましたがもう少し続けたいと思っています。


2006/1/22 (Sun)  ララバイナ〜レ(53)





小さな巨人・37

SML GIANT 37

VIRGIN SNOW 2006/photo lorita12345
REVENGE

昔、道路を隔てた真向かいのビルの最上階から住人の6歳児が窓から落下して死んだそうだ。
天井から床までの1枚ガラス窓なので望遠鏡で見ると室内の様子が良く分かる。開放的な空間を楽しんでいるかのように真っ裸の男女が部屋を歩くのを目撃したこともある。猛暑の夏の日、裸のカップルが非常階段にでて足をブラブラ垂らして涼んでいる風景も微笑ましい。

最上階の住人は良く変わり、また新しい住人が入居してきた。
今回は3人組の日本人男達のようだ。彼等は写真家なのか夜中でもストロボをバンバン焚くのでその反射の強い光が俺の家の中を青白い光で攻撃した。カシャカシャ音は写真だけではなく、開け放った窓からはロック音楽も流れていた。
3人の男達が自由なNY生活を謳歌したい気持ちを分からないわけではない。
だが、しかし、俺だけではなくこの界隈の住人達も不満を感じながら黙認をしていると思われた。

こういう場合、俺はいつも文句状(COMPLAIN)を先方の玄関に少なくとも2度残すようにしている。

1.カーテンをつけて下さい。
2.ストロボの反射で心臓麻痺を起こしそうです。
3.近所迷惑を考えてください。
4.音楽も夜中は音量を低くしてください。

と英語で認めた。3度目は最後の手しかない。
結果、奴等のストロボ攻撃と音楽は止まらなかった。


ある日、屋上からアンテナの設置作業をしている奴等を発見した俺は、チャンスと思い直ぐに警察に電話をした。

あの〜。ビルの屋上から怪しい男達が部屋にはいろうとしています。
危険人物かもしれません。直ぐに調査をお願いします。

NYPD==3


奴等の住所を告げた俺は望遠鏡を持って警察の出動を待った。
5分もしないうちに数台のパトカーが音もなく左右から現われ、静かに車から降りた警察官達は入り口のドアをこじ開け屋上まで登っていく。
こちらからは屋上の様子が望遠鏡で丸見えなので奴等の動揺が感じられた。
ホールドアップで両手をあげた奴等は必死で警察官に説明をしている。
つくづく愚かな奴等だと思った。


そして、また最上階の住人が変わった。




2006/1/23 (Mon)  ララバイナ〜レ(54)





小さな巨人・38

SML GIANT 38
遊びの時間は終わらない

SWAT

アメリカの警察特殊部隊「SWAT・スワット」をご存知か。
俺は遭遇したことがある。

俺の東側の窓(5窓)から隣の2階建て倉庫の屋上が眼下に見える。倉庫は3方の高いビルに囲まれていて、すべてのビルには住人が居住し、クリスマス時はそれぞれの窓にクリスマスツリーの赤や青の豆電球が点滅する。
早朝の薄暗いうちから向こうの窓に暖かい電気が灯り、子供たちが走り回り、
湯気のあがるオートミールをすするオレンジ色の風景が好ましい。

ある昼下がりのことだった。

隣の倉庫の屋上で全身黒い服を着た男が挙動不審な動きをしていた。手にピストル?のようなものを持っている。
俺は男と目を合わせないように壁に張り付いてチラッチラッと様子を覗っていた。
同じく目撃した住人の誰かが警察に通報したらしい。
俺は道路に面した北側の窓と東窓を往復しながら現場を見守った。


来た・・・。
黒っぽい車が数台止まった。同時にパトカーも数台やってきた。全車無音
車から降りた数人がバタバタと隣の倉庫入り口に移動しているように見えた。

暫くすると俺のビルのブザーが鳴った。が、俺はシカトした。ところが、住人の誰かがロビーのドアを開けたらしい。同時にドカドカと階段を上がってくる重苦しい雰囲気が感じられ・・・(俺のビルのエレベーターは鍵がなくては作動しないシステムになっている)2階のドアを叩き、順番に上の階に移動しているようだ。次は、俺のドアかも・・来た・・・。

ドンドン!ドンドン!!
警察だ!開けろーー!! ドンドン!

はっ!はい!!お待ちを・・汗

重い機関銃を持ったスワット軍団4人がドカドカと入ってきた。全員が巨体で筋肉マン。機関銃を軽く持っている。俺は吹けば軽く飛ばされる小蠅だった。

は・はろ・・・汗

東の窓はどこだ!!


土足の彼等は一気に窓へ向かい、それぞれの窓に陣取った。
彼等はワン!ツー!スリー!の掛け声で同時に窓を開け、
カシャカシャ!と下の男に機関銃の銃口を向けた。


フリーズッ!動くなっ!

2006/1/25 (Wed)  ララバイナ〜レ(55)





小さな巨人・39

SML GIANT 39
SWAT!

NYPDNYPDNYPDoO○。。

撃てーー!やっちまえ!
SHOOT HIM!


うへっ!思わず言ってしまったぜ・・フッ

スワットは変な言語を喋る俺に向こうの部屋に行け!と命令した。

事件の成り行きを見たい俺は5番目の窓の壁に張り付いて様子を覗った。
眼下では、屋上のドアから別のSWAT軍団が突入し男に銃口を向けている。
隣の窓からのフリーズ!の大声で両手を挙げた男は突入したSWATに取り押さえられ、バンザイ姿勢でうつ伏せに押し倒され、背中に回した男の両手首には手錠が掛けられた。
容疑者逮捕を確認した窓側のSWAT軍団は俺に挨拶もなく無言で部屋からドカドカと去って行った。すべてが一瞬の出来事であった。
彼等が去った後、

カシャッ!開け放たれた窓からモータードライブの大きな音をたてながら、
俺のNIKONでうつ伏せ男を激写した。

音に気づいた男が顔を上にあげ俺に向かって怒鳴った。

この野郎!撮るな!!訴えるぞ!

だまれ!この愚か者めが!バーカ!
警察に通報したのは俺じゃねーよっ!
恨むなら警察だぞ!勘違いするな!

・・・・と言いたかったが後々の報復を考えると何も言えない。
そうなんです・・・撮影した写真を公開できない小心者の俺なのです。

警察が男を連れ去った後、現場はいつもの静かな昼下がりに戻った。

後で聞いた話だが、あの怪しい男のピストルは携帯電話だったそうだ。
男は倉庫の雇われ掃除人で、あの日は屋上を掃除するつもりだったらしい。

何れにしても人騒がせな男は2度と屋上に出ることはないと思う。



2006/1/27 (Fri)  ララバイナ〜レ(56)





小さな巨人・40

SML GIANT 40
MURDER

俺の家の周りは30年代のダイナーから日本の雑誌でも紹介されているレストランなどが軒を連ね、日中は観光客の往来で賑わう場所である。また骨董店やポップな家具などが店を連ね通称・骨董通りと呼ばれている。観光案内人に連なって散策する団体に出合うと俺は参加者の振りをし案内人の説明に耳を傾ける。
この辺りの古いビルの歴史について意外なことを無料で知ることができる。

家の斜め向かいには9・11で先陣した多くの消防員達が亡くなった消防署がある。毎日けたたましいサイレンの音と共に出動する消防車だが、休憩時間の消防士達がキャッチボールをする風景は俺にとっても安らぎの一時である。

午前5時の暗い時間から営業するダイナーはいつもこの界隈の住人たち、工場で働く工員たち、タクシーの運転手たち、消防士たちの馴染み客達で混雑している。郵便配達人には無償でコーヒーをサービスする人情ある下町の風景だ。

しかし、ビルに住む住人達は様々で何者が住んでいるのか皆目わからない。
ニューヨーカーはプライベートの厳守に徹底し、自分の家のインテリアには気を使うが、一歩外にでると道路にゴミが落ちていても気にしない。これを自由と勘違いしているヤカラも多いのではないだろうか。日本人とはモラル感が異なると思う。
という俺も歩き煙草の吸殻を罪悪感をもたないで道路へポイしている・・汗。

画材屋からの帰り道、ダイナーの角を曲がれば俺の住むビルが見えてくる。
人通りはあるが到って長閑な通りで、消防士達が本日も楽しそうにキャッチボールをしていた。

パン!!

聞きなれない音だな・・と感じながら家まで数メートル手前を歩いていると、黒いセダン車が猛スピードで走り去った。

見ると2軒隣のビルの入り口付近に男が倒れている。俺はいつものようにホームレスが寝ていると思った。倒れている男は何気に高級な洋服を着ている。最近のホームレスはネクタイまでして高級志向だな・・フーン。
通り過ぎて、後ろを振り向くと消防士達は相変わらずキャッチボールをしたり日光浴を楽しんでいた。

すると、いきなりパトカーがサイレンを鳴らしながら走ってきた。パトカーは2台3台と増え、救急車も到着。続いて大手テレビ局々の車もやってきた!!

一体、どうしちゃったの?

自分達の目の前で事件が起きたらしい。事件に気づいた消防士たちは慌てて消防車を出動させる準備を始めているようだ。そしてテレビ局の見慣れたアンカーたちがカメラに向かって熱い報道を始めた。

GODFATHER新聞のトップタイトルは下町の殺人事件

あのビルの最上階には有名な美人モデルが住んでいて、殺し屋が彼女の男を待ち伏せしたらしい。男が外に出てきたところを車の中からピストルで狙い撃ちしたと記事にある。殺された男は名の知れた大金持ちでマフィアのボスだった。

ネクタイをしたホームレス。と感じたのは俺だが、汚い格好だとまず誰もがホームレスと考えるだろう。俺にも流れ弾が当る危険性があったわけで、汚いジーパン姿でバックパックの俺がたとえ撃たれたとしても、浮浪者の如く放置されることは必然である。

よって倒れるときはネクタイが必須!と肝に銘じたのである。



2006/1/28 (Sat)   

雪布団


2006/1/29 (Sun)  ララバイナ〜レ(57)





小さな巨人・41

SML GIANT 41
FAREWELL MY FRIEND

さようなら。ドクター。

蒸し暑い6月の深夜。電話の音で眼が覚めた。電話の男は興奮していた。
どちらさまですか?と問う前に先生の家へ早く来てー!の絶叫が聞こえた。
俺はドクターに何かが起きたと直感した。


ドクターの住むビルの入り口へ着くと、警察の武装集団に機関銃を突きつけられ質疑応答を繰り返した。やっと解放された俺は階段をつかい11階まで一気に上がった。ビル全体に非常ベルが鳴り響き、エレベーターはドアが開きっぱなしで動かない。いつも静かなドクターの部屋は警官達、救急車の医師達と消防士達で混乱していた。

寝台に乗せられたドクターの口には割り箸が差し込まれ彼は昏睡状態に見えた。心臓探知機の波数を確認しようとしたら医者が止めたので、ドクターの耳元で俺は大声で先生!!先生!僕です!船木です!と叫び続けた。

心臓発作だな・・と言っているのが聞こえた。
医者がドクターの胸に装置で電流を流すと衝撃でドクターの身体が弓反りになり、繰り返しショックを与えたが反応は皆無だった。

俺に電話をしてきた日本からの客人(著名な某作家夫妻)たちは、ドクターの突然の発作と出来事に驚き部屋の片隅で震えている。

救急車に乗せられたドクターには客人が付き添い、俺はタクシーで後を追った。
緊急治療室の暗い待合室で待っていると、黒い服を着た男が静かにやってきて小声で何かを喋り始めた。良くみると、服の襟元に白い襟がみえる・・。
この人は・・神父ではないか・・。駄目だったか・・。

船木君〜スイカを食わせてよ〜

と言いながら遊びにくるドクターを俺は思い出していた。
すぐに八百屋にスイカを買いに行き、小片をドクターに切り分けると、
もう少し頂戴よ〜。と甘えた顔で懇願するドクターが今は無言の人になった。
こんなことなら腹一杯食わせてやれば良かった・・。

治療室に通され、ドクターをみると割り箸をそのまま口に咥え、一気に身体中に水分が廻ったのか痩せた顔が膨れて丸い肥満顔になっていた。
ドクターの病名は人工透析を生涯続けなくてはならない腎臓病だった。苦痛を忘れるためにトランキライザーを常用していたことを後で知った。
あの時、医者たちに病人は人工透析をしていると英語で説明出来なかった俺は断腸の思いである。

船木君。人生50年だよな。

50歳になったばかりの穏やかなドクターの死顔をみながら、
人目を憚ることなく、俺は号泣した。



2006/1/30 (Mon)  ララバイナ〜レ(58)





小さな巨人・42

SML GIANT 42

2枚の遺言状
WILL

渡米したドクターの母は息子と対面するも涙を見せない気丈な老女だった。

葬儀では多くの参列者が列をなしドクターの交際の深さを知った。日本でも葬儀が行われ、参列者の写真を拝見すると作家、俳優、政治家などの著名人が列席していた。俺はドクターが国際的に有名な精神科医だったことを初めて知った。
俺は彼から公私共に教授いただいたが、彼は自分自身については何も語らない寡黙の人だった。

前触れもなく突然ブザーを押すドクターの甘えん坊な挙動がいつまでも俺の心に残っている。あまりに早い別れだったが良い出会いだったと思う。彼と共に行動し得た知識が現在の俺の業績の石杖となっている。彼には心から感謝の念を唱えたい。
電車駅までの道を歩くとドクターのロフトの窓がみえる。11階を見上げてドクターの姿を探し、そして肩を落とす俺におい!船木君。しっかりしろよ〜!と励ましてくれるているような気がする。

その後、老母は息子の財産処理について何度も渡米された。
葬儀後、母は知人達に家具や絨毯などを提供していた。物色する面々を俺は冷めた目で見ていた。母は俺にも片身分けとして何かお持ち下さいと勧めてくれたが丁寧にお断りした。

先生との素晴らしい思い出で充分です。
僕にはスイカに齧り付く先生の写真がありますから。


その後、母は羽根布団を送ってくださった。

ドクターの別れた彼女に葬儀日を知らせたが、結局彼女は現われなかった。
誰もが彼女への批判を露にしたが俺はそれで良いと思った。

そして、ドクターのWILL(遺言)どおり全財産が彼女に贈与された。贈与した彼女はあの懐かしいロフトを売り、現在は別の住居人が居住している。遺言状について母は弁護士と共に何度も裁判所に異議申し立てを行ったが、法律上では署名のあるWILLが正当である為、残念ながら母には1ドルも譲与されなかった。
尚、WILLの無い財産はアメリカ国に没収されるらしい。

サインの無い遺言状


ドクターの弁護士は2枚のWILLを提示した。
1枚目は別れた彼女宛で、2枚目は日本の母宛だった。

彼を捨てた彼女への1枚目のWILLは仲良く暮らした時期に作成されたもので本人の署名がなされていた。彼はそれを破棄し署名をするべく母宛の2枚目の書類を用意していた。2枚目に署名があれば全財産は母へ譲渡されるはずだった。
-敬称・略-


to be continued