BBS DIARYLIBRARY 

ロリ〜タのひとりごと

2005/10/27 (Thu)  ララバイナ〜レ(1)






2005/10/28 (Fri)  ララバイナ〜レ(2)



PARIS

機内で隣に座った九州出身のマサコさんと知り合いになりました。


マサコはパリに1週間滞在し、その後はスペインへ長期留学する気丈な女性です。
フランス語が全く出来ないアタシ達2人でしたが、
アタシの下手な英語よりマサコのスペイン語パワーが威力を発揮しました。

早速宿泊先に訪ねてくれた人がいました。
日本の知人から紹介されていた船木さんという男性です。
彼は作家で、すでに3年間ほどパリに留学をしているそうです。

船木さんのフランス語はいつもウイウィッを語尾上がりに発音なさいます。
これが慣れたフランス語なのでしょう。

アタシモ(  ´・_○・)ウィウィッ


小柄で痩せた船木さんは、仕草が妙にナヨッとしたソース顔のギャルソンです。
手を口に当てて話をなさる船木さん。癖かしら・・?

あら!船木さんの前歯が一本ありません。

酔っ払ってアラブ人と喧嘩をしましてね。
折れたんですよ。ははははは。


バイトで某作家の助手をしているんですが、
作家の愛人問題で夫婦の罵倒が激しくて・・・
そんな毎日に疲れていたんでしょう・・・・
バーで泥酔してアラちゃんに絡んでしまったんです。
かなり激しい殴りあいだったと思いますよ!
朝まで歯がなくなっていることに気づきませんでした。
あははははは。



その夜、船木さんはアタシ達を夜のノートルダム寺院に誘ってくれました。
ちょっぴり寒い夜で、震えているアタシに気づいた船木さんは、

ちょっと待ってて。タッタッタッタッ

彼のアパートの外で待っていると、厚めのセーターを持ってきてくれました。
アタシはセーターをお借りしました。
日本をでてから一度も洗っていないけど・・・よろしければ。




ウッ!!くさっ!(ひとりごと1)

え?何?この臭い・・(ひとりごと2)
これってタバコの臭い?(ひとりごと3)

オエ〜!(ひとりごと4)


ありがとうございま〜す♪

暖か〜い♪



2005/10/30 (Sun)  ララバイナ〜レ(3)



K I S S

1週間後、マサコはスペインに旅立つことになりました。

見ず知らず同士のパリ滞在で、もちつもたれつの2人の関係もこれで終わります。
アタシは、夕闇迫るマサコをリヨン駅に見送りました。

船木さんって優しい人だね。私、船木さんに会いにまたパリへ来るわ!

そうしてあげて。カルト・セジュール(滞在許可)が発行される限り、
船木さんはパリにらっしゃると思う。


1人で寂しくなるけど、ロリちゃんも頑張ってね。
何かのときは、あの船木さんにお願いしたらいいよ。
短い期間だったけど、ロリちゃんと一緒にいられて楽しかった。
またいつか会えたらいいね。本当にありがとう。


うん・・アタシこそありがとう。身体に気をつけてね。無事を祈ってる。

車窓から顔をだしているマサコを見ていると、とても寂しくなりました。
遠いスペインまで1人で行き、知人のいないマサコはどうやって生きていくのかしら。
マサコのことも心配だったけど、
アタシは今から1人になるという孤独感が沸々と湧き出していました。
異国で1人ぼっちになるんだわ・・メランコリーなアタシ。

突然、マサコの歓喜の声が。。。

船木さーーん!

走って見送りにきてくれた船木さん。
間にあった。ハァハァ・・

マサコは涙を流し始めました。

電車のドアが閉まると、マサコと堅く握った手が離れて・・

さようなら〜〜〜ロリ〜〜〜

さようなら〜〜〜マサコ〜〜

アタシは電車が見えなくなるまで見送りました。
涙が止まらなくて、不安でたまりませんでした。




少し離れてタバコを吸っていた船木さんが、

さあ、帰りましょうか・・

ええ・・・涙がとまらない・・ウッウッ。

そっと、船木さんがアタシの肩を優しく抱いて・・・キッス・・



キス?(´、丶)



チョット・・何これ・・これがフランス的挨拶なのか?!


バカにしないでよ!!
こんな時にキッスするかよ!!
やめれ!キモッ!!ペッペッ!


なんていえる状態ではなかったアタシです・・キモス。




2005/10/30 (Sun)  ララバイナ〜レ(4)



KISSひとくちメモ


KISSは国によって異なります。

以前書いた豪州編の校長先生のKISSは、口に生々しいブチューでした。

アメリカのKISSは片方の頬にチュです。
決してベッチョリの唾液をつけるKISSではなく、チュ!音を耳元で感じる程度です。
無知なアタシは相手のホッペに唾液ベッチョリKISSをしていました。
たぶん相手はかなり不快だったと思います。

フランスのKISSは両方の頬に派手な音でチュッ!チュッ!です。
音だけです。決して唾液を流さない方法でお願いします。

ウーーパッ!と片方にやり、すぐにもう片方へウーーーッパッ!です。

船木さんのKISSはいきなりアタシのつぶらな唇にネッチョリとしたので、
これは反則だと思います。

ロシアですが、3回もするそうです。
まだ経験したことがありませんが、これはある筋からの情報です。
左、右、そして左という順番でするそうです。
しつこい感じがしますね。さすがにロシアです。

英国珍道中記に書きましたが、アタシは痛い日本人親子に翻弄され、
一度もイギリス人とKISSするチャンスがありませんでした。



2005/11/2 (Wed)  ララバイナ〜レ(5)





Rue Campagne Premiere


石畳の道に沿って古いアパートが並んでいます。
その1つの大きな古い門をくぐると中庭に出ます。
中庭の大きなイチジクの木が建物を隠すように茂り、
アタシは歴史の臭いが残る一室に入居しました。


カンパーニュ・プルミエという名称のこの建物には多くの作家達が居住しています。
昔は若い頃のピカソ、藤田嗣治などの作家達も住んでいたそうです。

トイレは共同で、部屋にはお風呂もありません。
簡単に言えば、バストイレのないワンルームマンションですね。
部屋は4畳半サイズで小さいガスコンロと洗面兼料理用のシンクがありました。
冷蔵庫なんて近代的なものはありません。
備え付けのベッドは年代を感じさせる古いもので真ん中が凹んでいました。

各階にあるトイレは、日本のポットン式に似ていて真ん中に穴があります。
靴置き用のタイルの上に足を置きウンコ座りをし用を足します。
それから、天井からぶら下がっている鎖を下へ引くのです。

バッシャーー!と大きな音とともに靴底ギリギリ下まで水が流れ出し、
トイレの床全体が水浸しになり・・すべてを洗い流してくれる仕組みになっていました。

この場合、タイルからうっかり靴をはみだしていると靴が濡れてしまいます。
3回ほど靴の中まで濡れました。機敏でなくては濡れるのです。

はい?お風呂ですか?

銭湯です。

近くにモンパルナス駅があり、旅行者達用の公衆お風呂があります。
バスタブもありましたがアタシはシャワーのみを使いました。

長い髪を洗うと時間がかかり、また乾かす時間も必要だったので少しモタモタしていると、ドアの外から管理している女性が大声で時間だよ!slkwtlうぇ;s!
とドアを叩くので、濡れ髪にスカーフを巻いて家まで逃げ帰りました。

それからは部屋の片隅にある台所でお湯を沸かし行水をするようになりました。
特にアソコを清潔に保つためにビデ風なものを工夫しました。
香水って、不潔な臭いを消すためかしら?・・・そかも・・・・。


朝が楽しみでした。起床するとパン屋さんへ。
焼きたてのバケット(フランスパン)と牛乳を半分ずつ買いに行くのです。

バケットですが、これほど美味しいパンは他の国にはないと思います。
シンプル味で皮がパリッとしていて中が空洞。これがなんとも美味です。
バターをたっぷりつけてカフェオレと共に食しました。

パリのカフェには人々が長い時間座って話し込んでいたり、
1人で読書をしたり、書き物をしたり、恋人達が愛を語らっていたり・・・

和製パリジェンヌのアタシはパリの風景に自然に溶け込んでいました。




2005/11/4 (Fri)  ララバイナ〜レ(6)



船木さん


ある日、船木さんが食事に招待してくれました。



船木さんのアパートは6畳の広さで、暖炉、2段ベッド、台所の他に小さい印刷機があり、小さいスペースですが無駄なく整理整頓されていました。

小さい窓がひとつだけの暗い部屋です。
夕日のはいる台所で食事の支度をしている船木さん。
ブランデーの空瓶を再利用したランプの灯りが暖かくテーブルを照らしています。

2段ベッドの上は荷物置き場なのかスーツケース、画材道具などがキッチリ並べて保管され、下のベッドの枕元の壁に船木さんが描いた美しい女性の鉛筆画がかけてありました。モデルは彼女なのかな・・・。
とても上手い絵なので正直驚きました。



少しロンゲの船木さんは、擦り切れたコーデュロイのパンツに木製のサボ靴を履き、首にはいつもカーキ色の小さいスカーフを巻いてちょっぴりフランス的。

ちょうど日本のお母様から荷物が届いていたので一緒に開けました。

パジャマ、グンゼの下着、日本茶、ラーメンなどに照れ笑いをしている船木さん。
そんな姿にアタシが赤面してしまいました。

あら?パジャマの襟が微妙に厚い。何か縫いこんであるような・・これは?

ああ、日本円ですよ。送らないでと言っているんですけどね・・・
ほら、こんなに貯まりましたよ。苦笑している船木さん。


使わないんですか?

全く手をつけていません。
バイトで稼いでいるので親からの仕送りはチョットね・・。


トイレから戻ったアタシは、

手拭のタオルを貸していただけます?

はい。どうぞ。

船木さんは台所に吊ってあるタオルを貸してくれました。

あとで気づいたのですが、お皿を拭く台所用にも同じタオルを使っていて・・・。
そうなんです。1本のタオルをすべてに使っているのです。(汗

さて、食事のレシピは先ずクレソンとトマトの野菜サラダでした。
メイン料理はムール貝がたっぷり入ったスープで、スープをパンに浸していただきます。

うわ・・・美味しい・・・・・・。

客人の前で料理の食材を見せながら調理する方法はアタシにとって新鮮でした。
そして、
独身男性がこんなに美味しいお料理を簡単に作ってしまうことに感激したアタシです。




深夜。



激しい嘔吐と下痢を伴う腹痛に襲われ、
アタシはパリの屋根の下で七転八倒。
真ん中が凹んだベッドの上で1人のたうち回りました。

ムール貝は・・アタシには合わないらしい・・
うぅっ。苦しいょぉ・・




2005/11/5 (Sat)  ララバイナ〜レ(7)



マロニエの道に枯葉が舞い
かすかな冬の訪れを聞く
いつか木の芽に小さな澄んだ涙のような蕾がやどり
ビロードの羽を硝子眼にむかえよう
孤独な足音が私の背中にメランコリー




2005/11/7 (Mon)  ララバイナ〜レ(8)



illusion violette


バスからの風景は微妙です。
灰色の空と石畳が道ゆく人々を灰色に染めています。木の根っこまで灰色のよう。走るバスからぼんやり外を眺めていると、紫色のマフラーの女性が視界に・・振り返るとあの紫陽花色は消えていました・・ポケットの中には心残りのコインが2個。バイオレット・イルージョン・・


地下鉄(メトロ)のプラットホームの壁の広告もカラフルでお洒落です。
アメリの映画では地下鉄の光景が沢山でてきます。
街にはアメリのような個性的な女の子たちが沢山いました。
シャギーが流行すれば日本中の女性たちががシャギシャギ。
それに比べて個性を大切にしているジェンヌたち。

n'est-il pas ?



2005/11/9 (Wed)  ララバイナ〜レ(9)



Gare du Nord l



早朝のパリの北駅(Gare du Nord)は世界中の旅行者たちで混雑していました。


アムステルダム行きの電車に乗ったアタシはパリのエトランゼ。
マロニエやブナの森とブドウ山が流れ、モネやゴッホが通過していきます。
眠らない風景と、眠ってはいけないアタシ。

ベルギーの国境では電車の中でパスポートに出入国のスタンプを押してもらい、そのままブリュッセルを軽く通りすごしました。生チョコ名物のブリュッセルよ、またいつの日か。

数時間後、運河の街・アムステルダムで簡単な入国手続きを済ませたアタシは駅からバスに乗りました。
行き先は、アムステルダム国立美術館。
レンブラントです。

「夜警」で有名なレンブラントの多くの名品が収蔵されています。
レンブラントの秀作に深く感動したアタシは心の記憶帳に認めました。

そういえばリュックにいれた朝飯用のパンとチーズは車中で食べてしまって、
何も食べていません。空腹のアタシ・・・・
レストランではお客達が名物料理のソーセージを食べています。
美味しそう・・。
でもメニューは高価なものばかり・・どうしょう・・・

同席しても良いですか?

学生風の日本人の男性が笑いながら声をかけてきました。
旅の目的などを話すと、彼も奨学金でアムステルダムに来ているとのことでした。

そして、アタシのためにソーセージとキャベツの煮込みを注文してくれました。



2005/11/10 (Thu)  ララバイナ〜レ(10)



Gare du Nord ll



異国で日本人を見かけると視線が合えば軽く会釈をするように心がけています。

不振そうな顔で無視する人もいれば、笑顔の挨拶が戻ってくることもあります。
特に、スニーカーにバックパック姿の人には熱い視線で応援したくなります。
石畳をハイヒールでヒョコヒョコのアヒル歩きをしている人には挨拶をしません。

というか、スルーします。

アムステルダムのレストランで見知らぬアタシに声をかけてくれた日本人男性。
彼の勇気にはつくづく感激しました。

男性は名所を案内してくださり、パリ行きの駅のホームまで見送ってくれました。
アタシがパリを去った後もパリのアパートへ絵葉書をくださり、
親切な船木さんがわざわざ日本へ転送してくださいました。


夜行列車に乗ったアタシは一路パリへ。



コンパートメントという6人用の客室にはフランス人男性とアタシだけが。
パリまでこんなイケメン男性と無言で同席するのは苦痛で・・・(オロオロ)
でも、グッタリ疲れていたので、そんな心配はまったく必要ありませんでした。
車掌さんがやってきて、入国手続きが終わると2人は居眠りを始めました。


男性が部屋の電気を消して・・・2人は真っ暗な闇の中。

そして聞こえるのはガーーガーーのイビキだけ・・・?

そうなんです。。アタシはものすごいイビキだったと思います。

あ〜・・遠くに男の声が聞こえてる・・

マドモアゼ〜ル!アロ〜!とアタシを起こしてくれました。

んがっ〜。ここは何処? (´┐`)ヨダレじゅるdぅpws・・

寝ぼけ眼のアタシに 

ボワラ♪ ル・パリ♪


フッと微笑んだ男はコートの裾をひるがえして、
真夜中のプラットホームに去っていきました。





2005/11/14 (Mon)  ララバイナ〜レ(11)



Gare du Nord lll



夜の北駅


プラットホームに降り立った乗客たちは足早に去っていきました。

早朝の混雑した駅は人々がまばらの暗い駅に変わっていましたが、
アタシは1ヶ月ぶりに家に帰ってきたような懐かしい気分でした。

長いプラットホームを出口に向かってトボトボと歩き始めると、
夜の冷気が寝起きの身体に凍み込んでブルッ。
マフラーをグルッグルッと鼻まで巻き込みました。

ん?

長いプラットホームの向こうから、
降り立った人々と逆方向にゆっくり歩いてくる人がいます。

ズンズンとアタシに向かっているような・・誰かしら??

カランカランと木製のサボ靴の音。

え?もしや・・・?

長いチェックのマントを羽織ったその人は、
微笑みながらアタシに向かって手を振りました。

お帰り。お疲れ。

お〜〜!船木さん!

帰り道がわからないと思って迎えに来た。(笑

ええ。ええ。確かにわかりませんでした。(泣

緊張の解れと安堵感でアタシはブルブル震えていました。

船木さんは、マントの中にアタシを包んでくれて・・
煙草臭いけど・・暖かい・・・



モンパルナスの夜


アパートの近くにあるカフェ・DOMEで熱いカフェオレとバケットで夜食。

そして、遅くまで船木さんに旅の話を聞いてもらいました。




2005/11/16 (Wed)  ララバイナ〜レ(12)






ある作家をインタビューすることになりました。


大きなアパルトメントのベルを鳴らすと老夫人が愛想のない態度で、

いらっしゃい。と一言・・・

お土産の花束を受け取った夫人はそのままスーといなくなりました。

部屋にはいると巨大な丸いハンドルのついたレス機(印刷機)が中央にあり、
窓際には夫人の飼っているウサギ小屋がありました。

いよいよパイプをくわえた老作家のお出ましです。

いらっしゃい・・

作家の声が小さいので何度も聞きなおしをする焦り気味のアタシでした。

え・・?

ボソボソ、ボソッ・・

は・・?


そこへ消えた夫人がお茶をお盆に載せて再登場。

日本茶と柿の種でした。



僕の作品をみますか・・?

はい。拝見します。

壁に掛けてある作品を見たアタシは、

オー!素晴らしい油絵ですね!!

いや、これは版画だよ。君・・・

あ、そうですか。(汗

オー!これも先生の有名な版画ですね!!


いや、これは妻の油絵だよ・・君・・

・・・・・・・・



彼はブリタニカ辞典にも載っている有名な作家でした・・。




2005/11/16 (Wed)  ララバイナ〜レ(13)






突然の雨。あまやどりのカフェにて。

モンマルトルの丘には沢山の絵描きたちがイーゼルを立てて絵を描いています。
若き日のモジリアニやピカソなどの巨匠たちが活躍したエコール・ド・パリ時代を
そのまま引き継いでいるつもりなのでしょうか。
時代は変わっているのに彼らは幻影の世界を彷徨っているのかもしれません。
1人の日本人画家に話しかけると20年もパリに住んでいるそうです。
描いているものは白亜の教会、サクレクール寺院です。画風はそのままユトリロ。
彼は観光客に絵を売って生活の糧としているそうです。

やるせない気持ちで丘の階段を下りていると、

パラパラと冷たい雨が降ってきました。

アタシはミモザの花束を抱えてカフェに飛び込みました。
歩道の恋人たちや人々は走りながら奇声を発してどこかに消えてしまいました。

アタシはカフェのイスに座り、誰もいない濡れた歩道をカメラに収めました。


掲載写真はキッスする恋人達、LE BAISER DE L'HOTEL DE VILLE、
1950年、ROBERT DOISNEAU(ロベール・ドワノー)が撮影したものです。

このカップルについては長い間謎とされていましたが、その後2人は結婚をし,今はすでに過去の人たちです。ストリートスナップを無断で撮影し、発表したことで「無断掲載は肖像権の侵害」という判決がでた写真です。甘くノスタルジックな強い感動をこの写真に受けましたが、それだけでは済まされなかった結末が残念です。




2005/11/19 (Sat)  ララバイナ〜レ(14)






味噌汁とアタシ

幸運といえば良いのでそうか、出来た姉がいるお陰でアタシはお料理なんて作ったことがありませんでした。姉が作る料理はいつも美味しくオサレに食卓に並んでいました。
母が台所にたつのはお正月くらいですべての家事は姉達が率先してやっていました。
姉達はとっても家事が好きだったのでしょう。
母は娘達の嫁入り修行のつもりだったと言っていましたが、冷静に考えてみると何となく違うような・・。

一方、思いがけなくヒョッコリ生まれた末娘のアタシはその辺りに放置されて成長し、鋏や包丁などの正しい使い方などを教えられないまま無知のまま今日に至っています。

家庭科の授業では調理をしている友達達の側でアタシはボーと何もしないし、ミシンの壊し魔だし、当然家庭科の成績は見事に最低でした。恥と感じた姉が包丁の使い方などを訓練してくれましたが、「この子、才能ないわ・・・」などと簡単に匙を投げるし、編み物をしても着ている間に穴がほつれるし、何をやっても本当に駄目なアタシでした。


さて、船木さんにはいつもお世話になっているので、日本食でおもてなしをすることにしました。お客様のために料理を作るなんて、それも和食の食材に乏しい外国で作ることはそれはもう大変なことなのです。

お湯にお味噌をいれるだけで味噌汁はできあがりました。簡単でした。
お肉は焼くだけで、塩・胡椒は好みでパッパッパッです。シンプルなお肉の味。
サラダ菜は適当に手でちぎり、超_簡単でした。

ドアを開けると船木さんが1本の赤いバラを手渡してくれました。
食事に招待された時は必ず花を1本でも良いから持っていくと良いですよ。
と教えてくれました。これは後々とても役に立っています。

最初のメニューはお味噌汁で。

たら〜〜ん。召し上がれ〜〜♪


船木さんは、美味しいです。と、ニコニコ顔。
お肉が焦げて部屋の中が真っ白く煙りましたが、嫌な顔をしないで食べてくれました。
サラダも美味しいと終始ほめてくださる味覚の達人さん。

食後のお茶を飲みながら、船木さんがお母様の話をなさいました。

僕の母は、毎朝削りブシや煮干などを使って鍋一杯のダシ(出汁)を作るんです。そのダシで味噌汁や煮物などを作るんですが。これが絶品でね。(笑

(  ´・_○・)フムフム。素晴らしい母上様ですね。




ところで、ダシって何かしら??
そういえば味噌汁の味が姉のと違い味噌湯を飲んでるみたいだった・・・


あ!味噌汁ってダシいれるのか!


2005/11/22 (Tue)  ララバイナ〜レ(15)





Bob Dylan Framed Tiffany Co.


GAULOISES
ゴロワース

あなたはタバコを吸う男を見たことがありますか?



うつむいてタバコに火をつける男。
写真の男のようなタバコを吸う人をみたことがありますか?

残念ながら女性が同じ仕草をしても美しいと思ったことがありません。
格好イイな・・と思うことはあっても美しい姿という印象はありません。

美しく優しげな女性がソッとメントールの煙草に火をつける仕草。
美しい女性には煙草は似合わないと思います。


いいえ。煙草は誰が吸っても良いのです。
アタシはアタシの美意識を述べているだけなのですから。
煙草を吸う男をみて強い印象を受けたことを述べているだけなのです。


煙草を吸う男の姿を何げにアタシのような女は見ているのです。

ジッポで煙草に火をつける仕草。

タバコの煙が滲みて片目を閉じて苦笑する顔。

片方の手の平で風をさえぎる姿、コートの襟で風をさえぎっている姿。

下唇に挟んでいまにも落っこちそうな煙草でタイピングをしている姿。

アタシは生まれて初めて煙草を吸う男が美しいと思いました。



それはゴロワースを吸うパリの船木さんでした。





2005/11/24 (Thu)  ララバイナ〜レ(16)




黒い画帳
PORTFOLIO


この黒い鞄を通称ポートフォリオと呼んでいます。
この中に自分の作品や写真などをいれて持ち歩くのです。


アタシは船木さんの作品が入ったこの鞄を銀座の画廊まで届けることを頼まれました。

大切な物なのでアタシは成田に到着すると画廊まで直行しました。
作家である船木さんについての知識は殆どなく、興味もありませんでした。

パリでは船木さんの親友で神戸出身の御曹司の山崎氏や、
船木さんと話をする時いつも頬を赤くする画家のブリジット女史など、
沢山の知り合いができましたが特に面倒をみてくれたのが船木さんでした。
言葉数の少ない穏やかな人でいつも静かな笑顔で接してくれたものです。

船木さんの尖った肩にはいつも色褪せた革の鞄が身体の一部になっていました。
鞄の中には滞在許可証のカルトセジュールの重要書類が入っていて、そしていつも片手には掲載写真のポートフォリオを持っていました。

ポートフォリオは作家の魂であり、作品をいつでも見せられるようにしています。

これは自分の作品を見せるチャンスを逸しないためだそうです。



ある日、電車待ちでプラットホームのベンチに座って話しをしていたのですが、船木さんがカルトセジュールの入った鞄をベンチに置き忘れてしまいました。
魂のはいったポートフォリオはしっかり手にもっていましたが・・・

電車のドアが閉まって忘れたことに気づいた私達は慌てました。
動き始めた電車の窓からベンチを見ると、
浮浪者がベンチの鞄を触っているではありませんか!!


ああああー!盗まれる!すぐに次の駅で降りてください!

いや、もういいですよ・・あきらめました・・・・

それは違います!すぐに取りに戻ってください!お願いです!

次の駅に着くと、

ここで待っていてください!すぐに戻りますから!

船木さんは、スーパーマンのように宙を飛んで逆ホームへ走り抜けました。

びゅーーん!


・・・・・・うわぁ・・なんて足の速い人だろ・・・・・・


メトロ


それからアタシは1人で待ちました。
10分毎にやってくる電車の中に船木さんを探しましたが、

船木さんは・・乗っていません・・・



カルトセジュールが無いと船木さんはパリに住めなくなる・・・・


どうしよう・・・




2005/11/25 (Fri)  ララバイナ〜レ(17)




小さな巨人・1
PEU GEANT 1


ハァハァハァハァ・・・

なんで俺がこんな目にあわなきゃならねーんだ?
ロリの前で鼻の下を伸ばしていたのがバレバレじゃねーかよ。
ナルシストの俺がブサイクなところを見せてしまったぜ。ハァハァ


電車こねーーっ!

神はオイラを見放したのか。嗚呼・・・・



走りながら何人に体当たりしたとおもってるんだ。
奴らにメルド!(糞ッタレ)って言われて引く俺じゃねーし。
何を言われても平気な俺様だけどな。フッ。

しかし、ラグビーで鍛えておいてよかったぜ。
オイラの走る姿に惚れるなよーーーー!ロリ。

俺はこういっては何だが、走りは強いんだぜ。
ガキの頃も小柄だった俺はいつも一番だったのさ。
運動会ではかなり派手に目立っていたとおもうぜ。
見に来ているオフクロに貰った賞状をポイと投げて渡して、
またダダダダダッと走っていく俺を誇らしげに見つめていたものさ。
そんな勇姿をオフクロに見せた俺って・・・ズバリ親孝行だよな。

だが・・しかし、あの鞄がないと俺はパリに住めなくなるんだよー!

おー!電車きた!うっしゃー!

必死で飛び乗って前の駅についたら、いたよ!!いたよ!やつが板!

ごらあ!テメー!オイラの鞄の中を汚い手で触るなよ!ハァハァハァ。

返せ!!俺の鞄を返せーー!

何?オマエの鞄だと?何をぬかすんだよ!!俺のだろうが!
何?はぁ?金が欲しい??返すから金をくれだと?テメッー!




はい。わかりました。これをあげます。どうぞ。

俺は何気に10フランもやっちまったぜ。フッ。

中身のカルトセジュールもパスポートも無事だ!やったぜBABY!

ふ〜。どれどれ一服するか。疲れたべ。

(-。-)y-゜゜゜うまい・・・・



あ!忘れてた。ロリが隣の駅で待ってるんだっ。ハァハァハァ




2005/11/27 (Sun)  ララバイナ〜レ(18)




小さな巨人・2
PEU GEANT 2


船木さんが戻って来ません。オシッコしたいです・・

あの浮浪者の男がカバンを持っていったのかもしれません。

ていうか

セジュールやパスポートのような貴重品をカバンにいれて持ち歩きます?
普通はアパートのベッドの下などに隠していません?

後で聞いたのですが、たまに警察官が外国人学生に身分証明書の提示を要請する事があるので、いつでも見せられるようにしているそうです。
それにしても・・いつもカバンを斜めにかけている船木さんが今日に限って・・・

余談ですが、船木さんの真摯な生活態度について記しておきましょう。

氏はあの皮製のズシッと重いカバンを買うために何度もお店にいき、
カバンの形やセンスより先ず縫製を入念にチェックして買ったそうです。
糸が切れると自分で手縫いで補修しているそうで几帳面なお人柄がみえます。

いつも着ているテカテカと艶光りしている皮製のジャケットも、
試行錯誤の結果買ったそうです。

俺が買ってやるからいい加減に決めろよ!
と言っても船木はシツコク検品していましたよ。


と、友達の山崎さんが語っていました。

北駅にアタシを迎えにきてくれた時に着ていたマントですが、
日本のバーゲンで1500円で買ったウール布製のもので、
毛布変わりになると思い日本から持ってきたそうです。
北駅では毛布を着て迎えに来てくれたということになります。

そういえば船木さんはいつも同じセーターを着ていました。
赤いセーターの肘の部分が擦り切れて、裾は伸びきっているのです。
前にアタシが借りたセーターは勿体なくて一度しか着ていないとか。

肩までの長い髪も渡仏前はパーマして短髪だったらしいです。
今は地肌が見える油っぽいストレート髪なのですが、
床屋さんのお金をセーブするために自分で切っているそうです。

船木さんって倹約家なのね・・(´-`).。oO


学校での船木さんは授業に参加はしてはいるのですが、授業内容と関係のない作業を1人でしているそうです。つまり自分の作品を作っているのです。

そんな船木さんを先生は見て見ぬふりをして授業をすすめているとか。
先生の技術を学ぶことは何も無いですから。と船木さんは語っていました。
むしろ先生から質問があれば教えていたそうです。

彼は国際公募展魔で作品を世界中の公募展に出品し沢山の賞を貰っていました。
コツコツと自分の世界を真面目に地固めをしていたように思います。
誰もが努力家の船木さんの業績を認めていました。

学校の仲間たちも公募展に挑戦するのですが落選することは日常茶飯事でした。
思い通りにはならないことに悲観し諦める人たちも多かったと思います。
アタシは船木さんの作品を1枚戴きましたが正直どこが良いのか分かりません。
奥の深い国際公募展であります。


船木さんは芸術校の他にアリアンセ・フランセーズ校でフランス語のクラスも受講していました。

レベルは 1(初心者クラス)


いつも同じレベル 1 です。
上のレベルに上がれないので繰り返し受講しているとのことです。
最初はフランス語が流暢に聞こえましたが、たぶん片言のフランス語だと思います。

通学道の墓地を通り抜ける時、いつも無口で静かな船木さんは墓石を触りながら、これはモーパッサン、あれはゲーテ。などとアタシに教えてくれました。
ゆっくりと時間を咀嚼し、落葉をカバンに忍ばせるような人でした。


本日の地下鉄構内をあの勢いで走りぬけたあの機敏さは意外でしたが・・。


あ!カバンをかけた船木さんが戻ってきました!


あぁ。。これでトイレにいけます。





2005/11/29 (Tue)  ララバイナ〜レ(19)




小さな巨人・3
PEU GEANT 3

船木さんのポートフォリオ。


パリから帰国したアタシは成田から銀座まで直行しました。

船木さんの作家としての知識については殆ど無かったアタシですが、
銀座の画廊の名前を聞いて驚いたのです。

その画廊は昔から敷居の高いところで、画廊の中に入ったのは初めてでした。

楚々とした受付嬢に作品を預かってきたことをのべると、
すぐに別部屋へ案内され、お飲み物は何がよろしいですか?

どうぞ、おかまいなく。汗

彼女が日本茶とお茶菓子を持ってくると同時に画廊主が笑顔で入ってきました。

お疲れのところをお運びくださいまして。恐れいります。
先生の作品が売れてしまいまして、
在庫がなくて困っていたんですよ。助かりました。
先生はお元気でいらっしゃいますか?



先生って?あの青二才のナヨナヨした船木さんのことかしら?

船木さんからそのような説明は何も聞いていませんでした。

アタシは海外で活躍する人間に先を越された気分でした。



海外で頑張っている作家達は日本の独特の団体には属さないことが多く、
逆に、アタシのように日展や日展系列の団体に高い費用を使ってまで団体に属することに意義がある。と勘違いをしている無名作家が大勢います。

彼らは個展をしたくても画廊がなく自費で展覧会をし発表をすることが多いのです。
屋根を描けば屋根ばかり。牛舎を描いて20年というように、同じ画題を描くことで存在感を得たいという幅のない画風を強いられることもあるようです。

また長く団体に属している先輩より先に新参者が個展をしたり、また海外公募展に出品すれば、出た釘は打たれ、四面楚歌の状態になることも多々あります。
概ね、歯がゆい気持ちで製作を続けている作家達(自称)が少なくはないということです。

半年後、個展のため船木さんが帰国なさいました。

ちょうど上野ではアタシが所属する某団体の展覧会中で船木さんをお誘いしました。
沢山の出品者の作品のため3段掛けに展示され、アタシの作品はまず視界には入らない3段目に掛けてありました。

終始無言だった船木さんが、ただ一言、

このような団体や日展から、
何人の作家が生まれると思いますか?





2005/12/3 (Sat)  ララバイナ〜レ(20)




YOKO ONO COURTESY OF AGNES B

天才誕生?

余談ですが・・・

父の影響でアタシは子供の頃から絵を描いていたそうです。

小学生の頃のアタシは「よく描けたで賞」などの賞状や賞品を沢山戴いていました。
家族はそんなアタシを天才少女!と禿しく思い込み、すぐに絵画教室へ通わせました。
絵画教室の大人たちのイーゼルの横で、アタシも同じようにイーゼルを立てて油絵を描いていたものです。

アタシは絵画教室の他に、英語、ピアノなどの教室にも通っていました。
姉2人は華道や茶道のほかに日舞・琴・長唄・三味線などのお稽古事をしていました。
新しもの好きの父の意向でアタシはピアノを習いました。
でもいつもピアノ教室から抜け出して家の裏にあるお寺の縁の下で遊んだり、
墓地の古い墓石を倒して中を覗く探検遊びが大好きでした。
今思えば考古学のほうが似合っていたように思います。

ピアノの先生があの頃のことを・・本当にヤンチャ坊主だったね・・

先生・・アタシ・・坊主ではありません・・汗。

忘れた頃に生まれたアタシを老父は溺愛してくれました。

生まれた当初は丸々と太り、男のお子さんですか?と間違えられるのは常で、可愛い女の子の容貌のないアタシを家族は”この子の将来は決まった・・"と嘆いたそうです。

この写真は1歳のアタシです。父の油絵を背景に父が撮影したものです。
1番上の姉が毛糸で編んでくれた産着を着ています。
何とか女の子に見えるように大きなレースのリボンまでつけてくれています・・・。
この大口を開けて笑う顔は今も変わっていません。
チャームポイントは笑顔しかない!と幼いながらに現実を認識して成長したと思います。

まぁ一般的に、幼年期のブサイクは成人するにつれて美人になると申します。
アタシのような例外もありますが・・・・あ、はい・・。


ところで、祖母はお茶の先生をしていたのですが、夫が亡くなってから、
3人の子供たちを養うために稼ぎの良い呉服屋さんを創業しました。

アタシが生まれた時はすでに祖母は亡くなっていましたが、
祖母の仕事をそのまま受け継いだ母がいつもデンとお店に座っていたものです。

藍染に屋号が白抜きされた暖簾をくぐるお客様が、アタシを見て、

まぁ〜愛嬌のあるお坊ちゃんですこと。ホホ



話がわき道にそれました・・・

どこかの公募展に入賞したアタシが新聞に取り上げられたりすると「時の人」と勘違いした親や姉たちは、電車で2時間の日展系の先生のアトリエに通わせました。
毎回、石膏デッサンばかりで、消しゴム用の食パンは帰路の電車の中でムシャムシャ食べてアトリエでパンを使いきったことにしていました。
本当のところ、アタシはあまり絵を描くことは好きではなかったんです・・・。


子供の頃のこのようなアカデミックな教育がどれくらい生かせているのか疑問に感じていましたが、現在のアタシの絵画への思い入れと在り方は当時の経験が布石となり、決して無駄ではなかったと自負しています。

自由な発想と自由な製作など、そしてそれに伴う美術活動ですべての疑問が払拭されました。今は、学ばせてくれた家族に感謝しています。




2005/12/3 (Sat)  ララバイナ〜レ(21)




小さな巨人・4
PEU GEANT 4


船木さんは蔵元の家に生まれ育ちました。
家業を継がないで芸大に進みたいとお父様(以後敬称略)に相談すると、

そうか・・画家か・・
芸術の道は厳しいと思うが・・ウーン。
ま・・・お前の人生なのだから好きな道を進めばいいよ。


父は黙って学費を出してくれたそうです。
卒業後は好きなところへ就職すれば良いし、なければ家業を手伝えば良い。
と励ましてくれたのも父でした。

でも、さすがの父も息子のフランス留学では衝撃を受けたらしいです。

そうか、、いくのか・・・

それでも温かく見送ってくれ、前出のように仕送りまでして、まさに親の鏡であります。
彼が親からの仕送りに手をつけられない理由が分かるような気がします。

船木さんもヒョッコリ生まれた人でお兄様とはかなりの年齢の差があり、
老父に溺愛され悪戯坊主で育ったそうです。

子供のワンパク振りを見て見ぬフリをする父。
近所から文句が来ても、いやいや、すまんことです。と謝ってくれた父。

彼の父への愛は深く、父の話をする時はとても嬉しそうでした。

子供の頃は一緒に入浴をし、父がいつも息子のオ○ン○を口に含んで洗ってくれたそうです。チ○○スが溜まらない為の父の思いやりとでもいいますか。

この話を聞いたアタシ達は呆然としました。それって冗談でしょう?
いつもクールな船木さんが酷い冗談を言っていると思い、かなり引きました。
でも真相は、衛生の必要性を父は教えたかったのではないかと想像します。

そういえばアタシなんてあそこを中学生まで洗っていませんでした。
性器を触ることはイケナイ事で、逆に病気になると思っていましたから・・・

保健の授業で初めて生理の処理方法などを知った時、アソコは洗うものと知りました。
早速その夜はお風呂で綺麗に洗い長い年月の汚れを落としたことを思い出します。
なんとなく変な臭い。この子、臭くない?・・って家族は感じていたと思います。
家族も、アタシの世話をしてくれていた近所の小母さんも誰も教えてくれませんでした。


ところで、船木さんの父が胃ガンで入院なさった時、
ご両親から息子が心配するので言わないよう口止めされていました。

約束通り黙っていたのですが、気になったアタシは彼に国際電話をしました。

いつも冷静な人でしたが、

電話の向こうに・・・彼の低い嗚咽が聞こえました・・・。

すみません。本当にすみません。お世話になります・・・ウッウッ。

男泣きする船木さん。



その後、お父様は胃の2/3を切除しましたが全快し、退院なさいました。                 




2005/12/6 (Tue)  ララバイナ〜レ(22)




petit funaki

PEU GEANT 5
我思うに我有り

ロリが俺のことを長く書いているので、俺も少しガキの頃のことを回想してみよう。

俺はガキの頃はかなりワンパクだったんだ。
俺の実家の周りは様変わりしてしまって、今は2x4的な新築の家が密集しているんだが、ガキの頃はそりゃもう何もなく見渡す限り田畑だった。

登校途中の俺の遊びは、農家が手塩をかけて育てている煙草の大きな葉を走りながら竹棒でパシッパシッと切っていくことだった。切れたー!わーーい!タタタタタタ!
あの切れ味といったら格別で、サクッ!パカッ!と大きな葉っぱが爽やかに切れる。
タバコの葉がそりゃぁ見事にスパッ!スパッ!と半分に切れていった。

当然、農家から文句がきた。
親父が何度も頭を下げて謝っている後姿を見ながら育ったようなものさ。
そんな悪戯の度に俺はいつも蔵に閉じ込められて反省をするわけだが・・

それとさ、南瓜の花、知ってるかい?

黄色い花なんだけどな。フックラと袋みたいになるんだよ。
その花の中にミツバチがはいると花の先をサッと手で閉じてもぎとりグルグル回すんだ。
花を耳にもっていくと、ミツバチの船酔いの悲鳴が聞こえる。ブーーンって感じだな!
音が止まると、チェッ死んだか。といってポイッと捨てる。そしてその繰り返し。
南瓜の黄色い花は田んぼから消え緑一色になるわけで。
当然、農家からまたまた文句がくる。花がないと南瓜が実らないということだ。

ま、そんな悪戯は他にも沢山あるわけだが、楽しかったのは蔵だな。
頭を冷やせ!と親父に閉じ込められるわけだが、それがまた楽しかった。
最初はギャーギャー泣いていた俺も、暗い蔵に視界が慣れてくるとヒックヒック鼻水を垂らしながら蔵の中を物色したものさ。
蔵には、婆ちゃんが丹精込めて作った黒砂糖の壷があった。
それを俺は舐めまくり、知らぬは親なり。
おかげさまで今日の俺様の歯は全部虫歯なのさ。フッ。

そんな俺もタジタジすることもあったんだ。
従兄弟にミッちゃんという女の子がいてさ、鎌倉から家族と一緒に遊びに来ることがあった。めったに会ったことのない従姉で俺より2つ年上だった。

可愛い垢抜けした女の子だな。

そんな印象で俺的には緊張というか、ヤンチャな悪戯盛りの俺は意識して話ができなかった。これを異性への意識の始まりというのだろう。
というのも俺は男兄弟で女といえばお袋と婆ちゃんくらいで女ッ気がない。

ミッちゃんが縁側に座り、

おとうさま〜〜
ミツコのお靴をもってきて〜〜〜


はぁ〜?おとうさま〜?
それ何語?


オイラの親戚にお父様っていう人間がいるのか!
あれには、驚いたものさ。

ミッちゃんは今は宝塚の女役の女優になって派手な人生を送っているのだが、
娘の頃から宝塚オタクのお袋がしょっちゅうミッちゃんを見に行っているそうだ。

ところで、この写真は俺様の一歳のものだ。
ロリから俺のHPに掲載しているガキの写真を掲載していいか?と
頼まれたのでガキの分なら良い。と返事しておいた。




2005/12/7 (Wed)  ララバイナ〜レ(23)




小さな巨人・6
PEU GEANT 6

クリスマス・イブ

パリの船木さんから電話がありました。

いつもの穏やかな口調と違い、早口で何か勢いで話しているように聞こえます。
電話代がもったいないから?まぁあの船木さんなのでありえますが・・・


電話の内容は、

コンペティションで特別賞をもらい、米国の大学から奨学生として招待され、
書類を送るので適当に記入してアメリカへ返信して欲しいというものでした。


フランスから何でまたアメリカなんだろう・・
船木さんはアメリカへ行きたいって言ってたかしら?・・






2005/12/9 (Fri)  ララバイナ〜レ(24)




小さな巨人・7
PEU GEANT 7

Runaway

10日前、俺はセジュール(滞在許可)の更新で、移民局へ出かけた。

その日は、展覧会の展示のため俺は作品を手に持ち、ついでに移民局へ立ち寄り用事を済ませるつもりだった。いつも問題なく更新してもらっていたので、今回はサボ靴にセーターという軽装で気軽に出頭した。俺は移民局を甘くみていたと思う。

結局、具体的な説明もなくセジュールの更新は却下され、2週間以内にフランスを退去せよという印を押されてしまった。これを強制退去命令という。

すぐにバイト先や友人に相談し色々手を尽くしたのだが解決策は見つからなかった。
友人の山崎が更新の度にイタリアを往復しているように、俺も外国へ出て再度フランスへ入国するしか方法がない。とりあえず、山崎を真似して隣国のベルギーへ旅をすることにした。

同時に、米国の某大学から招待されていた俺は書類手続きなどを日本のロリに依頼するため国際電話をかけた。クリスマス色に染まる夜は更けて・・
懐かしいロリの声は平静そのもの、深く理由を聞かないで俺の頼みを心よく引き受けてくれた。感謝している。

ベルギーの冬の街は俺を迎えてくれたが、俺の心は孤独だった。
車窓からの風景を憂鬱な表情で眺める俺はドラマの主人公。
これから先のことを考えてみたが、混乱する頭の中は焦燥感のみで・・・

結局、フランスへの再入国時、セジュールの再発行は許可されなかった。


精神的にも疲れきった俺は、重い足を引きずりパリのアパートへ帰ると、
門をくぐると同時に、血相をかえた管理人が走ってきて俺を呼び止めた。


ムッシュー船木!!

部屋に行ったらダメ!警察が来ている!


ああ・・とうとう来たか・・・・・・





2005/12/10 (Sat)  ララバイナ〜レ(25)




小さな巨人・8
PEU GEANT 8


2人の私服警察官が去るまで、俺は寒さに震えながら門の外で隠れて待った。
息を止めて数時間も待ち続けたような気がする。

奴等が去った後も部屋に入る気分になれないので、ひとりでカフェに座りテーブルの角砂糖を転がして虚脱という時間と遊んだ。夜明けとともにパリの街は俺の心とは逆に活気づいている。思い起こせば、俺はこの知らない国で良く頑張ったと思う。

作品を作りながら生活費はバイトでまかなった。作品が出来上がればすぐに画廊へ持っていき僅かな額だったが画廊主が絵を買ってくれた。公募展にも応募しコツコツと製作をすることが俺の生きがいでもあり、楽しみでもあった。遊ぶこともなく、一分も時間を無駄にしない生活をしてきたつもりだ。
友人たちの中には俺の製作する姿勢を嘲笑する者もいただろう。
同時に世渡りのうまい奴と妬んでいたかもしれない。
たしかに俺は運が良かったことは認める。だが、しかし。

それが何だ?フランスという国の度量の小さいこと甚だしい。国民性がでるぜ。まったく。
この先、フランスが認めてくれたとしてもそれまでだろう。フランスにはもはや未来がない。
俺様を追い出す古臭い因習の国、フランスには微塵も魅力がないことに俺は気づいた。
そして、


そうだ!俺を迎えてくれる国がある!
俺を認めてくれる国があるではないか!!




2005/12/12 (Mon)  ララバイナ〜レ(26)




小さな巨人・9
PEU GEANT 9

星条旗

劇場の重い緞帳が厳かに上がり、開幕を告げる気分だった。
不安ではあるが次の目標をもてる俺は幸せ者かもしれない。

これ以上パリにいる必要はないと判断した俺は、画廊、学校の教授たち、バイト先、友人たちへお礼と別れを告げに出かけた。
それぞれが苦渋の表情だったが、俺の次のステップを見守っていると励ましてくれた。

ララバイナ〜レ(12)の老夫妻を訪ねると、去りゆく傷心の息子を愛しく感じてくれたのか、

そうですか。いきますか・・淋しくなります・・・・
君のことは最初で最後の弟子と思っています。いつも親切にしてくれてありがとう。
我々は20年近く住んでいますが、芸術面ではもはやこの地はトップステージではないと感じていました。先に行って待っていてください。我々も後でいきますから。


そして、彼らは餞別の封筒をソッと鞄に忍ばせてくれた。
餞別の10万円はパスポートケースにあり、俺に気合をいれてくれるお守りになっている。

さて、日本への片道航空券も買い、気分はすでに日本。
次の計画の前に親父との話し合いが待っていた。
常識的な結果がでれば俺の計画は徒労となるわけで、美術の非常勤講師をするか、サラリーマンになるか、或いは親父の手伝いをするか、すべて親父の決断次第だった。

俺自身も正直なところまだ決断ができていなく、帰国後そのまま日本に定住し、いつの日か結婚をし家庭をもち、時とともに流れていくことは当然の成行だった。
俺にとって何がベストなのか、未知数の未来に答えを出せない28歳になったばかりの世間知らずの若輩者だった。


何もない部屋の片付けは簡単に終わり、最後に美術館を散策することにした。

たまたまポンピドー美術館でアメリカのポップアート展をやっていたのでブラリと入館。
50年後半から始ったウォーホール、ジャスパー・ジョンズ、ラウシェンバーグなどのアメリカが誇る作家たちの作品が展示されていた。

うわ!これは!何だ!

FLAG BY JASPER JOHNS


ジャスパー・ジョンズの星条旗の絵がズバッと俺の目にはいってきた。
こんな蜜蝋を使った仕事を既に60年にやっていたのか!
度肝を抜かれてしまった俺は、震えながら呆然とFLAGの前に立ちすくんでいた。


そして、旅立ちの日。

ドゴール空港の電光掲示板を見上げると、
発着時間、行き先などがパタパタと飛行予定を告げている。

成田は?・・と・・あった。

NEW YORKは?・・

おおおおおおーーーっ!!

NEW YORK!

ブロードウェイの派手なイルミネーションでピカピカと輝くNEW YORKの文字!
いや! すくなくとも俺の目にはそう見えたんだ!
いくぞ!絶対に行ってやる!!待ってろNEW YORK!




さらば!!パリの街よ。





2005/12/14 (Wed)  ララバイナ〜レ(27)





小さな巨人・10
SML GIANT 10

FAMILY

久しぶりに見る父は一回り小さい身体になっていた。
家族は俺を満面の笑顔で迎えてくれた。兄夫婦も共に帰国を喜んでくれた。
家族全員との楽しい和食の宴。お袋の煮物は相変わらず美味い。
これからは自分たちの側にいてくれるだろう息子を囲んで家族の笑顔は絶えなかった。

だが、しかし、俺には時間がなかった。


お父さん!お願いがあります。
僕に3年間の仕送りをしてください!
それで駄目なら僕は日本に帰ってきます。そして、
就職をして迷惑をかけないことを約束します。


今度はどこへ行くつもりだ?
ニューヨーク・・それはアメリカか?
そうか。アメリカも・・・遠いな。


父より一回り若いお袋は状況判断できないらしく無言で2人の話を聞いていた。

お前が信念をもっているなら行けば良い。行って来い!
金は私がだす。お前は心配しなくて良い。


オヤジ!ありがとうございます!!


親父が簡単に承諾してくれるとは想像していなかったので些か拍子抜けした俺だった。

親父がまだ若い頃、跡継ぎの兄が早世した為次男である親父が家業を継いだそうだ。
若い頃の親父は家を出て自由に飛び回り事業を起こしたかった。と、後に母から聞いた。
親父は、自分に果たせなかった夢と自由を俺に託したのかもしれない。

俺は帰国と同時に銀座の画廊で個展をし、すべてを完売することができた。
その金でトラベラーズチェックと米ドルの現金を用意し当座の滞在費用を捻出した。


底冷えのする1月末日。
俺は冬のニューヨークへ飛び立った。


あいにく高熱を伴う風邪で体調はすこぶる悪い。食事も取れない状態だった。
多忙な日本での短い滞在と渡米への不安と興奮で体調を壊したようだ。
ロリからの餞別の福袋の中に風邪薬があったので服用。そのまま眠ってしまった。

深い眠りから目覚めると、下界は雪の国、ニューヨークだった。



移民局で順番待ちをする俺の心臓の鼓動が周りの人々にも聞こえるはずだ。
俺は、あのパリでの屈辱と失敗を2度と繰り返すことは出来ない。

管理間が俺に質問しているようだ。うむむ。

YES・・?と取りあえず答えてみた・・

OK!GOOD LUCK! と答えてくれた!

おおおお!俺の英語が通じた!!
外語の苦手な俺が英語を話しているではないか!
日本の教育も舐めたもんじゃないな!素晴らしい!

ひゃっほーーーーーーー!


船木さんの出発後の某日、アタシは船木さんのご両親をお訪ねしました。
お父様が笑顔でお話なさった言葉が印象に残っています。

親は子供より先に逝きますから。
親が子供にできることは子供を信頼することです。
子供が頼ってくれば喜んで援助してやることです。
それもまた親の幸福でもありますから。





2005/12/15 (Thu)  ララバイナ〜レ(28)





小さな巨人・11
SML GIANT 11

LOVELY DAY

Flatiron Bldg(1901)

成田を発った俺の便は、ハワイ、ロスアンジェルス、デンバーなどを経由しニューヨークに到着する超格安便だった。長い待ち時間を経由地の空港で費やした俺の疲労は限界に達していた。そして最終地点のニューヨーク・・・。
しかし、大雪のためJFK空港が閉鎖され、到着した所は聞いたこともないニュージャージ州のニューワーク空港だった・・・。

俺は疲れきっていた。
すべての審査が終わり、集荷場所に荷物を取りにいくと俺のスーツケースが出てこない。
紛失したか・・俺は初日から運が悪いと思った。
空港の係官に紛失書類を提出した俺は、ニューヨーク市マンハッタン行きのバスに乗った。
暖房の効いているバスの中から遠くにマンハッタンのパノラマが見える。
後に911を経験する世界貿易センターの銀色の勇姿が雪に映えて美しい。
いよいよマンハッタンだな・・・・。

疲労感は俺の全身から完全に消えていた。



バスターミナルを出ると、ニューヨークは記録的な豪雪らしく、
マンハッタンの街は深い雪で覆われ、ビルというビルが霞んで見える。
高層ビル連峰の街は異次元の世界と化していた。

こんな所で俺はこの先やっていけるのだろうか?知人もなくゼロからの出発だが・・
本当に大丈夫なのだろうか。俺はブルッと身震いした。

うっ!寒っ!凍死する。

俺は新雪の歩道にバージンステップを踏んだ。





2005/12/17 (Sat)  ララバイナ〜レ(29)





小さな巨人・12
SML GIANT 12

BREAKFAST AT BAGLE・・・

take out

猛吹雪の中、道に迷いながら俺は予約していた安宿に到着した。

名前だけ立派なホテル・パークアベニューはこれからの定宿となる。
妙な雰囲気のフロント男は不審そうな目つきで斜めに俺を見た。
部屋にはいると壁からベッドまで全部ショッキングピンク色の内装・・

俺には不釣合いな部屋だと思った。

ここは・・ラブホテルか?
いや違う。ここは・・間違いなく売春宿だ!
今時、一泊25ドルの部屋なんてないぞ・・。
不平は言えない。


窓の外は雪がシンシンと降り続いている。

それにしても部屋が異常に暑い。
風邪の高熱のためか時差のためかと思ったが。
室温が30度もあり、こいつらは適温を知らない阿呆だと思った。

空腹だったのでデリ(軽食屋)でパンを一個買い、
節約のためコーヒーは諦め、水道の水でパンを食った。

連日このメニューで過ごした俺は下痢をし、
出るものがない筈なのに激しい下痢が続いていた・・・。


翌日、学校の学長と会い食事に誘われたがそれより先に俺にはやるべき事があった。
あのホテルから一刻も早く脱出しアパートを見つけることが先決だった。

俺は新聞のアパート欄を探し業者に通じない英語で電話をしまくり、3日目、幸運にも日系人の斡旋業者に出会うことができた。美しい日本語を喋る老女はメアリーという元日本人だった。彼女はたぶん戦争花嫁だと思う。
メアリーさんは直ぐに色々な物件を見せてくれ、俺はこの時ほど日本語が通じることは素晴らしいと感激し、つくづく運が良いと思った。

安全で安い物件を探していることを理解してくれていたメアリーさんが、

では、こちらはいかがかしら?家賃もお安いですわよ。


連れていってくれたところは、東63丁目のサットンプレイスという名称の場所で、老人会のメアリーさんの女友達の1LDKのアパートだった。1人住まいには広い部屋だな・・。
なんでも再婚するので自分の部屋が空室になるので貸したいとのこと。これをサブリース(また貸し)という。ついでにベッド、テレビ、掃除機、タンス、食器などの生活用品は嫁ぎ先にあるので、すべてまとめて200ドルで売るという。俺にとっては最高の物件だった。

その場で即決した俺はこれで第一の問題が解決したことに安堵した。


その夜。メアリーさんが寿司屋に連れていってくれた。

目の前の寿司がしばらくぶりに再会した友達のように感じられ、
俺は久しぶりの固形物の食事をゆっくり咀嚼しながら無言で平らげた。
微笑みながら見つめているメアリー小母さんの視線を感じた俺は、
あらためて心から彼女に合掌したい気持ちだった。


翌朝、俺は日本を発って初めての堅い排便をみた。






2005/12/18 (Sun)  ララバイナ〜レ(30)





小さな巨人・13
SML GIANT 13

WONDER...FOOLtake out

部屋主からアパートの鍵を貰った俺はホテルを引き払いアパートへ引越した。


部屋は薄暗く前の住人の匂いが残っている。昼間でも暗い部屋はパリとよく似ていた。
台所でお湯を沸かしながらガスコンロの青い火を見つめていると、
ニューヨークにいるという実感と同時に孤独感が俺の心を不安にさせた。

ゆっくりとコーヒーをいれ、熱いマグカップを手に部屋の中の設備を物色していると、
冷蔵庫の中に牛乳、棚の中には胡椒、塩などの調味料、鍋、トースターなどを見つけた。
寝室のセミダブルベッドにはクリーニングした毛布、シーツが置いてあり、浴室にはタオル、石鹸、洗剤などもある。これらで当分の生活用品がまかなえる。家主さんに感謝。

小さい居間にしては不釣合いの大きい横長タンスがあり、その上には1チャンネルしか映らない古いテレビが一台。俺はタンスの上の物を除き、次に寝室のドアを取り外した。
ドアをタンスの上に置くと即席の大きい作業机が出来上がった。

うっす!このテーブルは使える!完璧だ!


この部屋も暖房がガンガン効いていて、真冬だというのに真夏の熱さだ。
窓を開け放し新鮮な冷気の中でTシャツ1枚の俺は掃除を開始した。
掃除の後、スーパーマーケットで食料を買い込んだ俺は、近所の花屋に小さい鉢植えの木をみつけた。名も知らない華奢な木だった。
西日がはいる台所の窓辺に鉢植えを置くと、彼女は以前からここにいたような表情を見せた。この喋らないルームメイトは現在も俺と行動を共にしている。

その夜、渡米して初めて熱い湯船に浸かり爆睡をした。


夜中、顔がコチョコチョと痒い。枕元のスタンドを灯すと、take out
小さい茶色の虫が列をなして枕の端から俺の顔上を行進しているではないか!take out蟻?・・
眼を点にして観察すると・・・、

take outわっ!!ゴキブリの家族だ!!!!!!!!
ぎゃあああああああああああああああああああああ!
痒い・・・痒い・・・顔から身体中全部が痒い。


ゴキブリに襲われた俺はもはや眠れない。水を飲みに台所の電気をプチッ!

take outうわっ!!!いっせいに得体の知れない茶色の物体が動いた!
トトロの真っ黒クロスケというか、真っ茶クロスケではないか!!take out
床の上からテーブルの上から部屋全体にウジャウジャいるわ!いるわ!
ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!take out
ここはゴキブリの大巣窟だったのかっーー!!



take out